裏側の恋人たち
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「こんばんは」

「いらっしゃいませ、ふみかさん・・・・・・あの、」

「吉乃は昨日から北陸に出張」

「そうですか・・・。」

「お客の顔見てがっかりするのやめてくれる?」

吉乃が来店しないと知って桐生君がわかりやすく落ち込んだ。


あの件があってから私は3度、吉乃は2度ほど来店している。
吉乃は二度共私と一緒に来ていてひとりでは来ていなかった。

桐生君は未だに吉乃の連絡先をゲットできていない。

あれから吉乃が桐生君にはっきりとお断りをしていたからだ。


生ビールを運んできた桐生君に「諦める気はないの?」と聞いてしまったのは決して嫌味じゃない。

「・・・ないですね。たぶん、吉乃さんが誰か他の男と結婚してもずっと好きなままだと思います」

「そんな?」

「そうですね。俺、たぶん一途なんです」

「・・・その若さ故の一途さが私たちには受け入れられないことだって理解した方がいいわよ」

余分なことだとわかっているけどつい言ってしまった。

「それってどういうことですか」
桐生君の目の色が変わる。

説明してもまだこの子にはわからないだろう。

「スミマセーン、生お代わりで。あと、豚の角煮も」
奥のボックス席から声がかかり早く行けと桐生君を視線で追い出した。

「はーい、かしこまりました」と返事をして離れていくけれど、後ろ髪を引かれているのは丸わかりだ。


「うちの坊やを潰さない程度に躾けてくれや」

カウンター越しに大将が笑いながら焼き鯖のお皿を差し出してくる。
今日はひとりだからカウンター席だ。

「鯖は頼んでませんけど」

「まあ教育係の報酬の前払いってことで、頼んだわ」

「えええ、嫌ですよ。お断りです」

「そう言うなって。新潟の新酒、お取り置きしとくぞ?」

ぐぐっと思わず喉が鳴ってしまう。
新潟の新酒かぁ。

「私はたぶん言いたいことを言うだけで躾にはならないし、それが彼にとっても吉乃にとってもいいことなのかわからないのでご遠慮させていただきます」

ご辞退しますっていった方がよかったのかしら。日本語って難しい。
とにかくそんな面倒なこと私はごめんだ。

生のジョッキを一気飲みして冷酒を頼む。

「はいよ」
目の前には小さな木のトレイに載った3つの小振りなびいどろガラスのぐい呑み。

これは?と大将に目で問いかける。

「向かって右から岩手、秋田、福島の酒。今日酒屋に勧められて1本だけ仕入れてみた。飲んで感想を教えてくれ。ふみかの評価がよければうちの棚に入れることにする」

「それ責任重大。私の味覚で大丈夫かしら」

「いいよ、うちは酒の種類が豊富なのが売りのひとつだし、気軽にやってくれ」

「坊やの教育係よりは得意分野ですからね、こっちを任されることにします」

利き酒代に焼き鯖を頂いてどれもゆっくりと味わった。


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