燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
その古都里の耳元で不意に「いらっしゃい」
と声がして、思わず「ひゃっ!」と声を上げ
てしまう。肩を竦め、そろりと振り返れば、
そこには着流し姿の右京。
古都里は、ほぅ、と安堵の息を漏らして胸
に手をあてると、くすくす、と可笑しそうに
笑っている右京に口を尖らせた。
「びっくりするじゃないですか。後ろにい
たなんて、全然気付きませんでした」
「失礼。うちの戸を開けて入っていくあな
たが見えたので、つい悪戯心が。よく来てく
れましたね。さ、どうぞ中へ」
悪びれることもなくそう言うと、右京は中
へ入るよう古都里を促してくれる。古都里は
控え目な声で「お邪魔します」と言うと広々
とした土間のある玄関へ足を踏み入れた。
「うわぁ、素敵なお家ですね」
入るなり家の中を見渡してそう言った古都
里に、先ほどの男の子がスリッパを差し出し
てくれる。何のことはない。男の子は後ろに
いる右京に『おかえりなさい』と言ったのだ。
そう得心しながらスリッパに足を通すと、
古都里は膝に両手をあて腰を屈めた。
「ありがとうございます。お稽古の見学に
来た、笹貫古都里といいます。よろしくね」
そう言うと、男の子もくりくりとした目を
細め、自己紹介してくれる。
「狐月と申します。こちらこそ、どうぞよ
ろしくお願いします」
右京と同様に、折り目正しい所作で挨拶を
してくれた狐月は、浅葱色の作務衣に鼠色の
タートルネックを合わせていた。つんつんと
短い前髪が良く似合っていて凄く可愛いけれ
ど、右京といい、狐月といい、まるで江戸時
代からタイムスリップしてきたような姿容だ
と密かに思ってしまう。するとその思いが顔
に出ていたのか、右京は狐月の頭にポンと手
を載せて言った。
「この子は僕の甥っ子でね。家の手伝いを
しながら箏を覚えるという名目で預かってい
るんです。もう一人、この子の姉も預かって
いるのだけど……まだお弟子さんが来るまで
時間があるから、二階でお茶でもしましょう
か。狐月、延珠にお茶を持ってくるよう伝え
てくれるかな?」
「はい。畏まりました」
右京の指示に恭しく頭を下げると、狐月は
長い廊下を、ととと、と奥へ走っていった。
「じゃあ、行きましょうか」
「はいっ」
その背中を見送っていた古都里は、右京と
共に左手にある階段を上り始める。
外から見たときも思ったが、自宅兼箏曲の
お稽古場となっている右京の家は、ずいぶん
と広かった。木の温もりをそこかしこに感じ
る長い廊下を歩いている間に、いくつ部屋が
あったことだろう。歳月に磨かれ艶を増した
建具や床板は古色を帯びていて、まるで老舗
旅館の中を歩いているような気分だった。
と声がして、思わず「ひゃっ!」と声を上げ
てしまう。肩を竦め、そろりと振り返れば、
そこには着流し姿の右京。
古都里は、ほぅ、と安堵の息を漏らして胸
に手をあてると、くすくす、と可笑しそうに
笑っている右京に口を尖らせた。
「びっくりするじゃないですか。後ろにい
たなんて、全然気付きませんでした」
「失礼。うちの戸を開けて入っていくあな
たが見えたので、つい悪戯心が。よく来てく
れましたね。さ、どうぞ中へ」
悪びれることもなくそう言うと、右京は中
へ入るよう古都里を促してくれる。古都里は
控え目な声で「お邪魔します」と言うと広々
とした土間のある玄関へ足を踏み入れた。
「うわぁ、素敵なお家ですね」
入るなり家の中を見渡してそう言った古都
里に、先ほどの男の子がスリッパを差し出し
てくれる。何のことはない。男の子は後ろに
いる右京に『おかえりなさい』と言ったのだ。
そう得心しながらスリッパに足を通すと、
古都里は膝に両手をあて腰を屈めた。
「ありがとうございます。お稽古の見学に
来た、笹貫古都里といいます。よろしくね」
そう言うと、男の子もくりくりとした目を
細め、自己紹介してくれる。
「狐月と申します。こちらこそ、どうぞよ
ろしくお願いします」
右京と同様に、折り目正しい所作で挨拶を
してくれた狐月は、浅葱色の作務衣に鼠色の
タートルネックを合わせていた。つんつんと
短い前髪が良く似合っていて凄く可愛いけれ
ど、右京といい、狐月といい、まるで江戸時
代からタイムスリップしてきたような姿容だ
と密かに思ってしまう。するとその思いが顔
に出ていたのか、右京は狐月の頭にポンと手
を載せて言った。
「この子は僕の甥っ子でね。家の手伝いを
しながら箏を覚えるという名目で預かってい
るんです。もう一人、この子の姉も預かって
いるのだけど……まだお弟子さんが来るまで
時間があるから、二階でお茶でもしましょう
か。狐月、延珠にお茶を持ってくるよう伝え
てくれるかな?」
「はい。畏まりました」
右京の指示に恭しく頭を下げると、狐月は
長い廊下を、ととと、と奥へ走っていった。
「じゃあ、行きましょうか」
「はいっ」
その背中を見送っていた古都里は、右京と
共に左手にある階段を上り始める。
外から見たときも思ったが、自宅兼箏曲の
お稽古場となっている右京の家は、ずいぶん
と広かった。木の温もりをそこかしこに感じ
る長い廊下を歩いている間に、いくつ部屋が
あったことだろう。歳月に磨かれ艶を増した
建具や床板は古色を帯びていて、まるで老舗
旅館の中を歩いているような気分だった。