燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 二階の廊下を突き当りまで歩くと、そこに
は応接セットが置かれていた。その空間を挟
んで右側に和室の障子。左側にはベランダの
出入り口らしき摺りガラスの引き戸がある。

 応接セットの後ろにもベランダを見渡せる
窓が設えてあって、二方向から淡い陽光が射
し込んでいた。

 「どうぞ、掛けてください。すぐにお茶が
きますから」

 そう言って廊下側に腰掛けた右京に、古都
里はどきどきしながら「はい」と腰かける。

 昨日の袴姿も凛としていて素敵だったが、
柔らかな風合いと独特の光沢感がある薄墨色
の着物を身に纏った右京も、洗練された大人
の装いという感じで魅力的だ。さらりとした
漆黒の髪に切れ長の双眸、細い鼻筋に薄い唇
という整い過ぎた顔立ちはどことなく蠱惑的
で、古都里は目を合わせているだけで恋に落
ちてしまいそうな感覚に囚われていた。

 「箏のお稽古はね、隣の和室でやっている
んです。今日は四時からお弟子さんが一人、
お稽古に来るのでちょうどいいと思ってこの
時間にお願いしたんですよ」

 古都里の緊張を解すように悠然とそう言っ
た右京に、古都里は小さく二度頷く。

 「そうなんですね。時間より早く来過ぎて
しまってすみません。あの、実は見学のあと、
少しでもお箏に触れさせてもらえればと思っ
て譜面を持ってきてしまったんです。箏爪は
丸爪なので置いてきたのですが、厚かましか
ったでしょうか?」

 右京の顔を覗き込むようにして訊ねた古都
里に、彼は「いいえ」と首を振った。

 「僕もそのつもりでしたから。あなたがど
こまで修得しているのか気になっていました
し。譜面は何を持ってきたんですか?」

 そう言って身を乗り出した右京に、古都里
は、ほっとして笑みを浮かべる。キャンバス
バッグから二冊の譜面を取り出すと、それを
右京に渡した。

 「千鳥の曲と、八千代獅子(やちよじし)を。高校に上が
ってからはお稽古から遠ざかっていたので、
あまり進んでいないんです」

 パラ、と譜面を広げている右京に肩を竦め
て見せる。日々練習に励んでいた姉は三つ目
の免状まで取得していたのに、自分は一つ目
の免状を取得しただけだった。

 「道は好む所によって安し、と言いますか
らね。箏が好きで、心から愉しむ気持ちがあ
ればすぐに上達しますよ。譜面はうちの方で
全部揃えてありますが……せっかく持って来
てくれたのであなたのを使って弾いてみまし
ょう」

 「はい、よろしくお願いします!」

 入会しないと決めているはずなのに、右京
に前向きなことを言ってもらえて古都里は嬉
しさのあまり声が弾んでしまう。

 その時、紺地に赤いチェックの紬着物を着
た可愛らしい女の子が盆を手にテーブルの横
に立ったので、古都里は思わず目を瞠った。
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