燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
幕間:竜姫

――千余年前、都。


 「おや、右京さん。お出掛けですか?」

 金箔の刺繍があしらわれた狩衣(かりぎぬ)に、紫紺の
指貫袴指貫袴(さしぬきばかま)という装いで縁側に立っていた
右京に、八咫烏(やたがらす)飛炎(ひえん)が声を掛けてくる。

 涼風に白い尾をゆらりと揺らしながら振り
返ると、右京は年来の友人に、にぃ、と口角
を上げた。

 「左京の春日小路沿いに美姫(びき)が住んでおる
と小耳に挟んでな。ちぃと、顔を拝みがてら、
精気を喰ろうて来ようかと思っての」

 悪戯が見つかってしまった子どものような
顔で言って、鴨居に手を掛ける。漆黒の長い
前髪の隙間から覗く飛炎の瞳が、わかりやす
く見開かれる。

 「その姫君のことならわたしも存じており
ますよ。なんでも、人の死を予言できるとか
云う『竜姫(りゅうひめ)』のことでしょう。確か、周囲の
者に呪われた姫と忌み嫌われ、西の(たい)に隔離
されるように住んでいるのだとか」

 腕を組んでそう言った飛炎に、右京はすぅ、
と目を細める。

 「蛇蝎(だかつ)の如く人々に忌み嫌われる、悲しき
美姫。その精気はさぞ悲嘆に濡れ、旨かろう
な。あやかしの餌食に、これ以上相応しい人
の子はおらぬわ」

 そう言って、くつくつと声を漏らす右京に、
飛炎は肩を竦めた。妖狐の最高位、天狐とな
るべく人の精気を吸いに向かうも、その対象
に同情したり、心を奪われたりで、右京は何
も取らずに帰ってくることの方が多い。飛炎
はひらりと身を翻して出てゆこうとする友の
背中に、呟いた。

 「ミイラ取りがミイラにならなきゃいいで
すけどね」


――その声は届いたのか、届かなかったのか。


 右京は白い獣耳をぴくりと動かすと、薄雲
満月(もちづき)が見え隠れする闇夜に消えていった。






 築地塀に囲まれた寝殿造りの敷地に近づく
と、右京は近衛府の官職である少将に姿を変
えた。ぽわ、と体が白い靄に包まれ、獣の耳
と尻尾が消える。
 宮中の西門を警護する御垣守(みかきもり)に悠然と近づき、
「変わりないか」と声を掛ければ、「はっ」
と篝火に照らされた顔を引き締め、衛士が
返事をしてくれる。

 「ふむ、ご苦労」

 右京は警護に立つ二人に労いの言葉を掛け
ると、堂々と西門をくぐって行った。

 中へ入ると広大な敷地の北側に寝殿が建ち、
南側には池を配した明媚な庭があった。

 右京はあやかしの姿に戻ると、風を切るよ
うにその中を駆け抜けた。竜姫がいるという
西の対は、庭に竜胆(りんどう)が咲き乱れているという。
 その花の頭文字を取り、『竜姫』と呼ばれ
るようになったのは、人の死を言い当てると
いう不吉な能力が世に知られるようになって
からだと聞いた。右京は秋風に揺れる青紫色
の花を見やると建物の(ひさし)の間に上がり、母屋
と外界とを隔てる御簾(みす)の隙間をくぐった。
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