もうごめん、なんて言わないで


「適当に座って」

 まるで自分の家にでもいるかのように、彼は慣れた素振りでキッチンに直行する。

 物の少ないモデルハウスみたいな部屋。白と黒を基調にしたモノクロの景色の中に、大きな観葉植物がひとつ置かれている。

 勝手に上がってしまってよかったものなのか。

 初めての部屋に落ち着かず、光沢があるL字型の黒いソファに浅く腰掛けた。見上げると、夕焼け色の間接照明に照らされた。


「どうぞ」

微かに甘い香りが漂った。

「あっ、ありがとうございます」


 湯気がたちのぼるマグカップを受け取ると、温かくホッとする匂いがした。

「ホットミルク。落ち着くでしょ」

 向かいのソファに腰掛けた彼がにこりと笑うと、右目の下にある涙ぼくろが少し歪んだ。


「さっきは驚かせてごめんね。美亜ちゃんの話はよく聞いてたから、勝手に知ってる気になっちゃって」

「いえ、こちらこそすみません。まさか同僚の方だったなんて」


 パイロットだという西條さんは、こちらの顔も名前もしっかりと把握していた。

 立ち振る舞いを見ていると明らかに何度も来たことがあるのが分かる。

 合鍵を持っていて、一緒に住んでいるのかと思うほど動きになんの躊躇もない。

 それほど俊介と親しそうなのに、一度も名前を聞いたことがなかった。

 考えてみれば高校の友達以外に俊介の交友関係を知らない気がする。つくづく私はなにも知らないのだと思い知らされた。

 よりにもよって香織さんの言葉が頭をよぎって、ちくりと胸に突き刺さった。


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