病気と仲良し(仮)
手術後
手術室からは、ストレッチャーで帰ってきた。
帰ってきたら、ビックリすることにおじさんとおばさんが面会に来ていた。
全然来るとは思わなかった。親にも見放されてるのに…。
驚いた顔をしたら
「お前の手術の日くらい、普通は来るよ。」と言われ、それに泣いてしまった。
自分ひとりで頑張っていたけど、安心したんだと思う。
その後、家政婦さんをお願いしていたので手術日と次の日まで、ついてもらった。
手術後は、首を動かすことは禁止され、また首を氷で冷やしてもらったが、熱が出て何回も氷を変えてもらっていた。
その度にうっすら目を開けると
「大丈夫?氷を、交換したからね」優しく言われ、安心して眠ることを繰り返した。
そして翌朝になると、医師の診察を受けその後
「起きて良いよ」
と言われ、手を引っ張ってもらい体を起こすことができた。
しかし、ひとりで起きようとすると首に力が入るために痛くて、なかなか起き上がる方ができない。
右向いたり、左向いたら、自分の起きやすいポジションを見つけるまで悪戦苦闘し、このやり方が1番楽に起きれる!という体勢を見つけて起きることができるようになった。
起きることができたら、こっちのもの。
ご飯はお粥だったから、お腹が空いてしまいどうし様もなくて、家政婦さんに相談をしてみた。
そしたら「固いものはダメだよ。お煎餅とかそういうものはね。」と注意をされ「だったら、パンとかなら大丈夫かな?」といったら「まぁ、それならね。」と言われ、いそいそと売店に向かった。
売店でサンドウィッチが売っていたので、即決して買って、病室に戻ってすぐに食べた記憶がある。
甲状腺亢進症は、お腹がすぐに空くので、その影響だったのかもしれない。
直ぐに食べ切ってしまったが、どこにでもあるサンドウィッチが、とても美味しかったと思い出が今も忘れずに残っている。
そういえば、翌日から声の出があまり良くなくて会話するのが大変だった。
声が嗄れている状況よりもさらに酷かった。
徐々に声が出せなくなり、電話しても相手に伝わらないという感じで電話を切っていた。
当時、携帯電話もなかった。今のようにメッセージを誰かに送るという手段はなかった。
その他に気になった事。
1日寝ただけだったのに頭に床ずれができてしまい、タオルでドーナツ枕を作って寝たりしていた。
床ずれは、なかなか治らなくて3ヶ月くらい掛かったと思う。
また寝返りが上手く打てないという状況にもなった。寝返り打つたびに目を覚まし、寝返りをうってから寝る。
夜はぐっすり眠れない時を過ごした。
この寝返りのたびに目が覚めるという習慣も半年ほど続いていたと思う。
手術後の抜糸のことも書いておこうと思う。
甲状腺の手術は中縫いと外縫いと2回縫っているということだった。
中縫いは、外からは見えない。糸は、溶ける糸を使っているために、抜糸しなくても良いとのこと。
外縫いの糸だけを抜糸する。
抜糸は、術後3日目だったと思う。
もうスケジュールの紙もないので、記憶しか頼るものがないのだが。
抜糸したら、手術痕にサージカルテープを重ね貼りして傷が開かないように毎日貼り直すということが必要になった。
鏡を見ながらやるのだが、最初は下手くそで時間もかなりかかっていた。
傷が開いたら困るので、しっかり毎日取り替えていた。
いつまでやっていたか記憶はあまりないが半年から8ヶ月位はやっていんじゃないかと思う。
「もうテープは必要ないよ」と言われるまで、長かったという記憶だけがある。
上手く貼れるようになって数ヶ月で、テープ生活から解放された。
友達からは
「ようやく普通の人になった」
と笑って言われた。やっぱりテープ貼ってると変な感じがしていたと言っていた。
確かに、怪しいよなと自分でも思った時に、電車に毎日あの姿で乗ってだけど、他の人もそう思っていたかも。と考えた思い出も残っている。テープを貼らなくて良いよと言われたから言われたことなので、考えても仕方なかったが。
帰ってきたら、ビックリすることにおじさんとおばさんが面会に来ていた。
全然来るとは思わなかった。親にも見放されてるのに…。
驚いた顔をしたら
「お前の手術の日くらい、普通は来るよ。」と言われ、それに泣いてしまった。
自分ひとりで頑張っていたけど、安心したんだと思う。
その後、家政婦さんをお願いしていたので手術日と次の日まで、ついてもらった。
手術後は、首を動かすことは禁止され、また首を氷で冷やしてもらったが、熱が出て何回も氷を変えてもらっていた。
その度にうっすら目を開けると
「大丈夫?氷を、交換したからね」優しく言われ、安心して眠ることを繰り返した。
そして翌朝になると、医師の診察を受けその後
「起きて良いよ」
と言われ、手を引っ張ってもらい体を起こすことができた。
しかし、ひとりで起きようとすると首に力が入るために痛くて、なかなか起き上がる方ができない。
右向いたり、左向いたら、自分の起きやすいポジションを見つけるまで悪戦苦闘し、このやり方が1番楽に起きれる!という体勢を見つけて起きることができるようになった。
起きることができたら、こっちのもの。
ご飯はお粥だったから、お腹が空いてしまいどうし様もなくて、家政婦さんに相談をしてみた。
そしたら「固いものはダメだよ。お煎餅とかそういうものはね。」と注意をされ「だったら、パンとかなら大丈夫かな?」といったら「まぁ、それならね。」と言われ、いそいそと売店に向かった。
売店でサンドウィッチが売っていたので、即決して買って、病室に戻ってすぐに食べた記憶がある。
甲状腺亢進症は、お腹がすぐに空くので、その影響だったのかもしれない。
直ぐに食べ切ってしまったが、どこにでもあるサンドウィッチが、とても美味しかったと思い出が今も忘れずに残っている。
そういえば、翌日から声の出があまり良くなくて会話するのが大変だった。
声が嗄れている状況よりもさらに酷かった。
徐々に声が出せなくなり、電話しても相手に伝わらないという感じで電話を切っていた。
当時、携帯電話もなかった。今のようにメッセージを誰かに送るという手段はなかった。
その他に気になった事。
1日寝ただけだったのに頭に床ずれができてしまい、タオルでドーナツ枕を作って寝たりしていた。
床ずれは、なかなか治らなくて3ヶ月くらい掛かったと思う。
また寝返りが上手く打てないという状況にもなった。寝返り打つたびに目を覚まし、寝返りをうってから寝る。
夜はぐっすり眠れない時を過ごした。
この寝返りのたびに目が覚めるという習慣も半年ほど続いていたと思う。
手術後の抜糸のことも書いておこうと思う。
甲状腺の手術は中縫いと外縫いと2回縫っているということだった。
中縫いは、外からは見えない。糸は、溶ける糸を使っているために、抜糸しなくても良いとのこと。
外縫いの糸だけを抜糸する。
抜糸は、術後3日目だったと思う。
もうスケジュールの紙もないので、記憶しか頼るものがないのだが。
抜糸したら、手術痕にサージカルテープを重ね貼りして傷が開かないように毎日貼り直すということが必要になった。
鏡を見ながらやるのだが、最初は下手くそで時間もかなりかかっていた。
傷が開いたら困るので、しっかり毎日取り替えていた。
いつまでやっていたか記憶はあまりないが半年から8ヶ月位はやっていんじゃないかと思う。
「もうテープは必要ないよ」と言われるまで、長かったという記憶だけがある。
上手く貼れるようになって数ヶ月で、テープ生活から解放された。
友達からは
「ようやく普通の人になった」
と笑って言われた。やっぱりテープ貼ってると変な感じがしていたと言っていた。
確かに、怪しいよなと自分でも思った時に、電車に毎日あの姿で乗ってだけど、他の人もそう思っていたかも。と考えた思い出も残っている。テープを貼らなくて良いよと言われたから言われたことなので、考えても仕方なかったが。