優しく、そっと、抱きしめて。

忘れたい記憶

 そこから、彼と別れるまで、何を話したか何一つ覚えていない。ただ一つ覚えているのは最寄り駅が一緒だったこと。喜ぶ余裕もなく、ただ自分の気持ちに戸惑うばかりで、どんな顔をして別れを告げていたのだろうか。

 お互いの最寄り駅について、そこから一人になると、なんで、という思いでいっぱいになる。

 こんなに惚れやすかったわけではない。彼の、声、話し方、仕草、何気ない気遣い、今まで出会ったことのない男の子。惚れる要素はいっぱいあるものの、知り合って間もないのに好きになってしまった自分が信じられないという思いでいっぱいになる。

 友人が欲しい、だれかと話したい、という人恋しい思いがあったのは確かだ。ただそれだけで好きになっていたとしたら、とんでもなく宮山くんに失礼な気がしてしまうし、なんで好きになったのかと聞かれると、納得する答えを伝えられる自信がない。

 それに私はまだ、前の恋愛から立ち直れていない状態だった。

 
 ーーーー小森って、マジで最低でさ。

 耳にまとわりつく、いやな声。

 ーーーえー、ほんっとうに最低じゃん。平岡先輩かわいそー。

 女子から向けられる軽蔑の目。廊下を歩くと、ヒソヒソと耳打ちをして、指をさされ、「気持ち悪い」「最低」とののしられる。
 忘れたくても忘れられない、いやな記憶に、じっとりと肌に纏わりつくような汗をかく。
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