冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~
きっと彼女のような女性に心動かされる男は、ごまんといるだろう。
小柄で華奢な体躯、染めたこともなさそうな艶やかな黒髪、長いまつ毛が縁取る瞳の美しい虹彩。
けれど俺は、彼女になんの感情も抱かなかった。
黒部の御大の孫娘だ、手の内において悪いことはないだろう。
『常に冷静であれ』
代々続く政治家一族である旧華族、芳賀家の長男として生を受けた俺は、徹頭徹尾そう育てられた。
子供の頃ですら、感情を少しでも乱せば、強い叱責が待っていた。
そのうちに自分を揺るがすすべてが億劫になっていった──好きも嫌いも楽しいも悲しいも。
ああ、でも……。
ホテルの地下駐車場で、車のエンジンをかけながらふと思い出す。かつて一度、どうしようもない寂寞感に襲われたことがあった。
検察官になって、一年目のこと。
検察官は入庁後、一年と少しを「新任検事」として大規模庁であるA庁(東京ブロック及び大阪、京都、神戸、名古屋、福岡)に配属される。
一度「新任明け検事」としてそれ以外の地方での勤務となり、その後再び「A庁検事」として過ごすことになる。
この五年目までは研修期間と考えられており、六年目以降は「シニア検事」──ようやくここで一人前の検察官として認められることとなる。
とにかくそんな新任検事、東京地検勤務だった頃、俺は衝撃を味わった。
生まれて初めてのことだった──逆送(家庭裁判所から刑事処分相当として検察庁へ身柄が送られること)された被疑者の少年が、自殺未遂をした。幸いなことに命に別状はなかった。ただ、その少年の両親は俺に向かってこう言った──『あの子、死んでくれればよかったのにね』。
度重なる非行と反抗に、両親は疲れ切っていたのだと思う。彼は彼で、どうしようもないほど煮詰まっていた。
家族に死を希われるまだ十七歳の少年。
意識を取り戻した病院のベッドで天井を見つめたまま、彼は細い声で訴える。
『オレもう、だめなんです。多分、またカッとして誰か、傷つけます。帰る場所も、行く場所もない。それならもう……死んでしまいたい』
自分がいかに温室で育ったかを知った瞬間だった。
非行や犯罪に走ってしまう少年たちの苦しみについては知識として知っていた。
けれど、こんなに生々しく眼前に現れるとは思っていなかった。愕然とした。今まで俺は箱庭の中で偉そうにしていただけだ。
……彼は罪をどう償うべきなのか?
数日後の休日に、白いウサギが虐(いじ)められているのを見かけた。
ウサギ──と言っても、着ぐるみだ。
近くにできた子供向けの室内遊具施設のチラシと風船を配っていた。そんなウサギを、高校生だろうか、髪を明るく染めた制服姿の数人が取り囲んでいた。
『頭、とれよ〜』
『中身、男? 女? おねーさんならあそぼ!』
あまり利口とは言えない笑い方をしつつ、彼らはウサギに軽く蹴りを入れたり、背中を叩いたり──見ていられなかった。
『やめろ』
割って入ると、彼らはあきらかに興醒めした表情で俺を見遣る。
『んだよ』
『関係ねーだろコラ、おれらウサちゃんと遊んでるだけだから』
見れば、ウサギは着ぐるみだというのにぶるぶると震えていた。よほど怖かったのだろう。『助けを呼べばいい』と他人は簡単に言うけれど、いざ自分が被害に遭うと、恐怖で声すら出なかったという事例は山ほどある。
『逮捕されたいのか?』
その言葉に彼らは『げっ』と眉を上げる。
『なんだよサツかよ』
警察ではないけれど、あえて誤解をさせた。それに、検察官にも逮捕権はある。もっとも、現行犯に限れば一般人にもあるものだけれど。
『つまんねえの』
慌てたように彼らは走り去り、ウサギと俺が残された。