冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~
由卯奈をアルバイト先のベーカリーまで迎えに行ったのは、夏も終わりかけの昼間のことだった。
サプライズ、なんて生まれて初めてのことでテンションが変になっているのを自覚する。
午後休を取ったのは、入省して初めて。
上司の目を丸くした表情は、なかなか愉快だったとも思う。
一度帰宅して着替え、ツクツクボウシが街路樹で鳴く歩道を歩く。
秋が深くなれば黄金色に紅葉するプラタナスは、まだ濃緑を陽射しに光らせていた。落ちる影の長さだけが、心なしか秋めいている。
由卯奈がアルバイトをしているベーカリーは自宅のマンションから徒歩十分ほど。
店のガラスには、金文字で店名が書かれていた。陳列棚に並べられたパンの先に、レジで接客しているコックコート姿の由卯奈が見えた。かわいい、と思ってしまう。
口の端が自然に緩んだ。
腕時計を見ると、午後十二時五十六分。彼女のシフトは十三時ちょうどまでのはずだ。
ぴったりだな、と再び視線をガラス越しの彼女に向けたとき──思わず拳を握る。
由卯奈は横に立つ男に向かって笑顔を向けていた。背と年齢は俺と同じくらいか。白いコックコートが似合う、ひょろりとした優男ふう。おそらくはここのオーナーだろう。『シフトの間はオーナーとふたりなんです』。そう由卯奈が言っていたことを思い出す。
ほかにも飲食店を経営していると聞いたから、てっきりもう少し年嵩のやつかと思っていた。
男が目を細め、由卯奈の肩に触れる。
「……クソが」
思い切り大きく店のガラス扉を開くと、ふたりがこちらに視線を寄越した。由卯奈が驚いた表情で俺を見上げる。
「直利さん?」
「迎えに来た」
淡々と目的を告げて、横の男に目線を移す。コックコートには『SANO』と名前が刺繍してあった。佐野、だろうか。
「お世話になっております。芳賀です」
「……ああ、ご主人ですか」
佐野が穏やかな表情で笑った。けれどその奥に明らかな敵愾心を見つけ、嫉妬で頭の奥で熾火が揺れる。と、由卯奈が首を傾げた。
「お仕事は?」
「……午後休を取った。由卯奈とデートしようと思って」
「デート!?」
由卯奈が心底驚いた顔をして、横で佐野がにこりと笑う。悔しくて仕方ないのを押し隠しているのがバレバレだった。
「え、わ、ちょっと待っててください」
「……もう上がっていいよ、芳賀さん。時間だし」
「そうですか? ならお先に失礼します」
ぱたぱたとバックヤードに小走りで入っていく由卯奈の背中を見ながら口を開いた。
「妻はご迷惑をかけてませんか」
「いえ、そんなこと……働いてくださって助かってます。そう、……ずっと働いててほしいくらいに」
じっと目を見られた。
あきれてしまう。横恋慕だろう。人妻に恋をして隠そうともしないなんて。
ふと、不安になった。『ほかに男がいてもかまわない』、あの言葉をなかったことにしてくれと今さらすがるのはあきれさせるだけだろうか。
ぐっと眉を寄せたとき、私服に着替えた由卯奈が出てくる。
「佐野さん、お疲れさまでした」
「ああ、また明後日」
「はーい」
由卯奈が屈託のない笑顔を浮かべる。
嫉妬で喉が詰まった。
俺以外に笑いかけるなと言ったら彼女は怒るだろう。
それくらいはわかる……
マンションまでの道のりを並んで歩く。吹いた風に彼女の髪が靡いて、焼きたてのパンの香りがした。
悔しくなって、彼女の手を握る。
指を絡め恋人繋ぎにすると、由卯奈は戸惑った表情の中に、たしかに照れの色を浮かべ、微かに笑った。
微笑み返すと、彼女が驚いた顔をして、それから笑い返してくれる。……今はこれで満足するべきだ。
そう自らに言い聞かせながら、俺は今日の「サプライズ」、喜んでくれるといいなと夢想した。