冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~
弟の文人がマンションに来たのは、馬をプレゼントされた衝撃冷めやらぬ、秋の初めのことだった。
空に浮かぶは羊雲。
直利さんに作ってもらうカフェオレが、アイスを経由してまたホットに変わった頃のこと。
「どうしたの、突然」
大学の帰りだろうか、いつも通りのラフな格好をした文人の表情は、それにそぐわないような真剣なものだった。
「文人……?」
「由卯姉、旦那から離婚の話聞いた?」
「……え?」
私は玄関先で、取り出した来客用のスリッパを取り落とす。
「聞いてないんだな……別れないつもりか」
「ど、どういうこと?」
別れないつもり、っていうことは……直利さんが離婚したいというわけじゃないのだろうとあたりをつけてホッとした。
なぜか、ホッとした。
「この間、オレ、由卯姉の旦那のとこ行ったんだ。一ヶ月くらい前かな」
「なんでそんなこと……」
やや呆然と聞き返す私に、文人は続ける。
「いろいろ考えたんだ。一度は納得しようとした……でも無理だ。オレ、由卯姉を犠牲にしてまで大学通いたくない」
「まさか辞めたり……っ」
「してない。それは……由卯姉が悲しむだろうから」
ぐっ、と文人が唇を噛む。
スリッパを彼の前に揃えたけれど、文人は玄関を上がるつもりはないようだった。
「それを直利さんに伝えたの……?」
「そう。別れてくれって。でも別れないの一辺倒だった。離婚届まで渡したのに」
「なんてことを」
「じゃあいいのか、由卯姉! 披露宴のこと、忘れたんじゃないだろうな」
「それは……でも、最近は仲いいんだよ」
言いながら思う。うん、仲いい、はず。
朝食を一緒に取るようになった。
日中もこまめに連絡がくるし、夜は息もつけないほど甘く抱かれ、リビングには写真が飾られるようになった。
『牧場のオーナーが送ってくれたんだ』
そう言って彼が最初に棚に飾ったのは、白馬──こゆきちゃん、と名付けた私の愛馬──にふたりで乗って撮った記念写真だ。
「最近はそうかもな。でも、忘れるな由卯姉。なにかの理由で優しくなっていたって、しばらくして飽きればもとの冷たい奴に戻るに決まってる」
ずきん、と胸が痛んでシャツワンピースの胸辺りを強く掴む。
「……そんな、こと」
ない、なんて言い切れる?
私は目線をうろつかせた。
直利さんが今、私に優しいのはきっと子供が欲しいから。
ならば、産んでしまえば……。
目的を果たしたのならば、また彼は私への態度をもとに戻すんじゃないだろうか。
結婚式を「野暮用」と言い切った、そんな直利さんに。
「……っ」
胸もとを掴む手に、思わず力がこもる。
「大丈夫だよ」
そんな私に、文人は微笑み言葉を重ねる。
「奨学金だって借りられることになったし、バイトだって掛け持ちする。黒部さんから借りた金は、なんとか返していこう。まさかとんでもない利子まではつけないだろ、オレたち一応、孫なんだから」
「そう、かな……」
答えながら、身体の奥が引き裂かれていくような感覚に陥る。
「由卯姉。今どき、バツイチなんか珍しくもない。今度、今度は本当に好きな人と幸せになってほしいんだ」
ぱっと顔を上げた。
違う、違うの。
「文人、違う」
「なにが」
「本当に好きな人……っ」
それは、直利さんだ。
好きだった。
もしかしたら、私がウサギだったあのときから、ずっと、ずっと……。
訝しむ文人に言葉を続けようとしたとき、リビングでスマートフォンがけたたましく振動を繰り返しているのに気がついた。
「ちょ、ちょっとごめんね」
私はパタパタと廊下を歩き、リビングのローテーブルからスマートフォンを取り上げる。
「直利さん……?」
こまめに連絡はくれるけれど、電話までは珍しい。スライドして通話に出ると、その向こうから聞こえたのはやや早口の直利さんの声だった。
『由卯奈、今どこだ』
私は目を瞬く──あまりにも焦りの滲む声だったから。
「えっと、家……ですけど。そうだ、今ちょうど文人も来ていて」
『文人……くん、か』
一瞬気まずそうにしてから、すぐに彼は切り替えたように言葉を続けた。
『いや、かえって都合がいい。いいか、俺が戻るまで家から出るな。知らない番号からの電話も無視しろ』
「え?」
ぽかんと首を傾げてしまう。
「どうして……」
『テレビをつけろ』
言われた通りにリモコンを押すと、ちょうど昼間のワイドショーが放映されていた。その話題は……。
私は息を呑む。
『とにかく、いいな』
こくこくとうなずくしかできない。
テレビの向こうでは、私の祖父、総理大臣黒部鉄雄の政治スキャンダル──反社会的勢力との繋がりがけたたましく報じられていた。