冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~

 両親が事故死したのは、私が社会人三年目の夏のことだった。
 東京の下町で父方の親戚から引き継いだ町工場を営む、厳しくも優しいごく平凡な両親は、配送中に飲酒運転のトラックに追突され、あっけなくこの世を去った。

『由卯姉……』

 病院の冷たい廊下で、私はただ呆然と立ち尽くしていた。目の前で顔色をなくし目を潤ませているのは、高校三年生になる弟の文人(あやと)だ。

 病室のドア一枚隔てた向こうに、冷たくなった両親の身体がある。

『処置が終わったら呼びますから』と気遣わしげに言われた私たちは、ただ冷たい廊下で佇むしかできない。

 これからどうしたらいいか、まったくわからなかった。

 私はまだいい。もう大人で、ひとりならば十分にやっていける。
 けど、とぐっと唇を噛む。文人のこと、これからどうするの? 私ひとりの収入で養える? それでなくとも、彼は大学進学を控えているのだ。

 誰かが廊下の遠くを歩いていく。リノリウムの、キュッキュッという音がやけに頭に響いていた。

『大丈夫だよ、文人、大丈夫』

 私はそう繰り返すしかできなかった。


 両親はしっかりと保険に入ってくれていた。けれど、近年の景気の悪さもあってか、工場は借金が嵩んでいた。
 正直なところ、保険だけでは焼石に水だった。

『職人さんたちのお給料、どうしよう』

 工場自体は、彼らのおかげで回る。つぶしてしまうわけにはいかない、と強く思った。
 両親が遺したネジ工場。
 精密機械にも使われている職人さん手作りの繊細なネジは、両親の自慢だった。

 とはいえ資金繰りは悪化していた。

 工場を閉めれば、きっとなんとかなる。でもそうしたら、職人さんたちの生活はどうなるの? 彼らはもうずいぶんと高齢で、次の仕事なんか簡単に見つかるはずがなかった。

『由卯ちゃん、無理しなくていいんだよ』

 仕事を辞めて工場を継いだ私に、職人さんたちはそう言ってくれているけれど──私は笑顔を貼り付けて『なんとかしますから!』とどんと胸を叩く。

 そう、私がしっかりしないでどうするの!

『由卯姉、オレ、大学行かないから』

 文人がそう言ったのは、両親の四十九日をなんとか終えたばかりのとき。

『え、なにを言っているの文人……』

 文人は本当に私の弟かと思ってしまうほど、成績優秀。『どこの大学でも行けますよ』と先生に言われた、と母が嬉しそうにしていたのが、つい昨日のように思い出される。

『もともと、ここの後を継ぐつもりだったから。それに、バイトをすれば少しは家に金も入れられる』
『大学で経営を学ぶってあんなに言っていたじゃない』

 言いながら思う。
 文人が進学を諦めてくれたら、そのぶん工場の資金繰りは楽になる……ううん、そんなのダメだ。文人の夢はつぶせない。

『絶対に許しません、文人』
『由卯姉!』
『子供は余計なことを考えてないで。ほら、もうすぐ模試でしょう? 勉強、勉強』

 事務室から文人を追い出し、パソコンの前で頭を抱えた私に──工場の方にいる職人さんから、声がかかる。慌てた声だった。

『由卯ちゃん! お客さん! 早く!』
『え? 銀行の人じゃないよね……』

 げっそりとしながら立ち上がる。
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