冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~
長いまつ毛に縁取られた瞳は困惑の色を映し、しかしそれでも水蜜桃のごとき頬は綺麗に血の色を透かしていた。
「結婚、って……私たち、もう、してませんか?」
「法的な話ではなく」
俺は立ち上がり、彼女の指に用意した指輪をつける。プラチナの結婚指輪に重ねつけした、ダイヤのシンプルなリング。
「どうか……一生君を守る権利を、俺にくれ」
息を呑む由卯奈を抱き寄せた。
頬に触れる。そっと見上げてくる双眸に、隠しきれない熱のようなものを感じ、心臓が痛みながら蕩けそうになる。
「愛してる、由卯奈。お腹の子供ごと、愛させてくれ」
唇を重ねた。
その唇が震えている。なだめるように、許しを乞うように、何度もキスを繰り返した。
事態が動いたのは、報道から一週間が経ったころだった。刑事ドラマの主人公のように、関係者にあたる日々に、靴はすり減っていく。現場の苦労を再確認しつつ、例の半グレ組織の「本社」であるIT企業──実質は出会い系アプリの開発企業──が入る高層オフィスビルに、俺はいた。
一階にあるチェーン店のカフェの窓ガラスから、ビルに出入りする人間をチェックしていたのだ。すでに幹部の顔は目に焼き付けてあった。
俺はこのとき、すでに黒部総理は「はめられた」のだと確信していた。最有力容疑者は政敵である俺の父親だったが、実家と事務所の捜索の結果、シロと判断した。代償としてしばらく顔も見せるなと追い出されかけたが、由卯奈の妊娠のことを告げると手のひらを返した。あんな親でも孫は見たいらしい。
その他数名の有力候補がいる。その関係者の顔と名前もまた、記憶していた。もし接触があれば、そこから綻びが出る。
──と、半グレ組織の幹部がビルから出てくる。一見すれば、その辺りにいるサラリーマンと変わりはない。だだ、鋭すぎる眼光がその印象を打ち消していた。
「……!」
そいつの横にいる、見たことのある男に思わず息を呑む。年齢は二十代、長めの髪には緑色のインナーカラー。バイク便の配達員と思(おぼ)しき服装をしていた。
幹部の男はそいつになにかひと言ふた言指示を出した後、ビルに戻って行った。
「中川!」
俺はバイクに乗ろうとしていた若い男の名前を呼ぶ。中川蓮也。「正義の味方」ぶっていた俺を現実に叩き落とした、当時十七歳の少年──その頃は金髪だったが。
中川が振り向き、そして……最も恐れていた表情を浮かべた。『ヤバい、見つかった』──そんな表情。
ただのバイク便の配達員ならば、かつての担当検事と鉢合わせたところで多少気まずくはあろうが、こんな表情は浮かべない。
つまり、中川はさっきの男が悪事を働いているのを知っている。あるいは中川も、また。
「芳賀さん……」
「覚えていたか」
苦虫を噛みつぶしたような顔をした中川の前を、時間と店の名前だけ告げて通り過ぎる。誰に見られていないとも限らなかった。
待ち合わせの時刻より先に、中川は店に現れた。ごった返す東京駅構内のカフェだ。
「こんな人が多いところで大丈夫っすか」
なにを言われるかすでに察しているのか、中川は開口一番にそう言った。
「こういうところの方がいい。刺されてもすぐ対応されるし犯人も逃げにくい」
無言で中川は俺の向かいに座る。勝手にオレンジジュースを注文すると、中川は初めて表情を大きく崩した。
「芳賀さん、オレ、もうガキじゃないっすよ」
「でも嫌いじゃないだろ」
中川はストローに口をつけつつ「いや、その……ああいう人とつるんでるのは、その、行くとこなくて」と自ら言い訳をつぶやき始めた。
良心の呵責があったのだと思う。
誰かを傷つけたことに、そしてまた傷つけるであろうことに怯えて自ら命を断とうとさえした少年。
「去年出所したんだよな。たしか埼玉の工場に就職したんじゃなかったのか」
「知ってたんすか……」
ため息をついて中川は続ける。
「そうなんす。でも人間関係うまくいかなくて、辞めて。次のとこは……前科あるってすぐバレて辞めた感じっす」
「で? それでどうして半グレなんかと」
「金なくて……先輩に紹介されて」
「それを」
俺は彼から目を逸らさない。
「それを俺に言うってことは、辞めたがっているんだよな? 彼らがなにをやっているのかも知ってるんだな」
中川はうつむく。オレンジジュースのグラスの氷が微かに揺れた。
「バイク便を装って、なに運んでる」
「……デジタルデータだと送りにくいものっす」
「たとえば」
「……クレカとか、書類の原本とか」
いずれもまともな来歴のものではあるまい。両方の頭に「偽造」がつくのは間違いなかった。
中川は「あー」と頭を抱えた。
「オレ、ちゃんと真っ当に生きようって思ったんす。芳賀さんに怒られて、すっげえ反省して。ムショでちゃんと勉強もしたし、なのにうまくいかない」
複雑な思いで中川を見つめる。
いっそ振り切れて悪に染まれたらラクだろうに、こいつはいつもギリギリで踏みとどまっているのだ。
「……芳賀さん捜査してるんすよね? あそこつぶれますか」
「困るか?」
「や、……辞めるって言ったら殺されかけたんで、つぶしてもらった方がいいっす」