冷徹官僚は高まる激愛を抑えきれない~独占欲で迫られ懐妊いたしました~

 心臓をばくばくさせながら庭に降りると、するっと手を離された。ほっとすると同時に、少し寂しく思ってしまうのはなぜだろう。

 秋の風がざあっと吹いた。
 大都会の真ん中なのに、自然の匂いがする。
 一瞬目を閉じてから、少し先を行く芳賀さんの広い背中を追いかけた。

 それにしても、と辺りを見回す。
 このホテルの日本庭園はかなり有名で、テレビでもよく見かける。
 明治時代に作られたというこの敷地の中には、小さな滝や川まで造られていて、夏には蛍まで飛ぶらしい。

 その、夏には蛍が舞うという小川には、今は両岸に狐の尻尾のような、背の高いススキが上品にそよいでいた。
 その穂先に秋の日があたり、金色に反射している。

 綺麗……。

 思わずそう思い、真っ赤に色づく紅葉の下で立ち止まる。ふと目線を正面に戻すと、芳賀さんが少し先でジッと私を見つめていた。

 射すくめられて、視線が逸らせない。

 芳賀さんがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。じゃり、じゃり……と白砂利を踏む音がした。
 ぴったり私の正面で立ち止まった芳賀さんが、まったく感情の読めない瞳で私を見下ろし口を開いた。

「お互い、気持ちのない結婚だ。不快な思いをしないために、極力干渉し合わないようにしよう」

 ぽかんと彼を見上げる。
 芳賀さんは恬淡と──いやむしろ冷淡に続けた。

「妻として尊重はする。だがプライベートには口を挟まないでほしい。妊娠にさえ注意するならば、ほかに男がいてもかまわない」
「……っ」

 私は目を見開き、芳賀さんを見つめる。
 芳賀さんの目には、一切の感情がなかった。彼は私になんの興味も関心もないのだ。

「ただ」

 芳賀さんはそう言って、呆然と立ち尽くす私の髪をひとふさ、そっと掬う。

「いずれ子供は作ろうと思う──必要なときに、しかるべきタイミングで」

 低く、耳に心地よい声が鼓膜を震わせる。ゾクゾクと背中になにか、甘いものが走る。

 やっぱり、この声……聞き覚えがある!

 私はそんなふうに考えながら、ふと私の髪から手を離した彼の指に視線を向け──そこに目が吸い寄せられた。

 右手の中指の付け根、その人差し指側に、黒子がひとつ。

 私はばっと顔を上げ、芳賀さんの顔を見た。ようやく記憶が焦点を結んだのだ──私は彼を知っている!

「……あの」

 声が震えた。芳賀さんが微かに眉を上げる。
 あのときのことを覚えていますか、と聞いてみたい。

 けれど……。

 芳賀さんの冷たい目を見ていると、そんな気持ちは萎えていく。「覚えていない」と言い放たれるのが関の山のような気もするし。

「……すみません、なんでも」

 小さく謝ってから、頭を下げた。

「不束者ですが、ご迷惑をおかけしないよう、がんばります。どうぞよろしくお願いいたします……」

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