二次元の外には、予想外すぎる甘々懐妊が待っていました
「ダメです……先生だけは……」

 香澄は、繰り返した。
 理由は香澄ですら分かっていなかったが、涼だけは拒絶しなければいけないと、強く思ってしまっていた。

「じゃあ、私なら良いわね?」
「え……?」
「私が、あなたの入院費立て替えるなら問題ないでしょ」
「でも……」
「もちろん、できるところから少しずつ返してもらう……それなら問題なでしょ?」
「は、はい……それであれば……」
「OK、分かったわ」

 拓人はそう言うと、スマホを操作しながら立ち上がろうとした。

「先輩、もう行っちゃうんですか……?」
「あら、この間私に対して強い口調で刃向かってきた人間とは思えないわね」
「…………あの時は……申し訳ありませんでした……」
「私は別に、あなたに謝って欲しいわけじゃないのよ。ただね……」

 拓人は、香澄の頭にぽんっと手を乗せてきた。

「あなたのことを、大事に想っている人間がいることを、忘れてほしくないのよ」
「…………申し訳ありません…………」
「だから、謝って欲しい訳じゃないって、言ったでしょう」

 拓人は微笑んでいた。でもそれは、眉も目尻も下がっている、悲しげな笑みだった。

「ねえ香澄。私がここを出る前に、1つだけ聞いても良いかしら」
「……はい……」
「赤ちゃん、どうする気?」
「どうするって…………」
「今こうしている間にも、香澄の体でゆっくり育っているわ。数ヶ月経てばこの世に生まれてしまう」
「分かっています」
「本当に?このまま何もせずにはいられないことも?」
「何が、言いたいんですか?」
「産むか堕ろすか、そろそろちゃんと考えなさいってこと」

 香澄は、拓人の言葉を聞きながら、俯いた。
 布団の上に置かれていた手は、いつの間にか握りこぶしになっていた。

「先輩はもう、分かってるんじゃないですか?私の選択を」
「分からないわ。だって私はあなたじゃないもの」
「え?」
「仮説はいくらでも立てられる。でもそんなの、他人が他人の目や価値観のフィルターで削ぎ落とした結果の妄想に過ぎないの。あなたの本当の心は、あなたにしか分からない。……違う?」
「そ、そんなこと言われても……」

 香澄は戸惑った。
 拓人は、自分がかつて話した内容を知っている。
 シークレットベビーや片親……特に母親に対するアレルギーがあることも。
 だから、香澄は心のどこかで考えてしまっていたのだ。
 拓人なら、背中を押してくれるだろう。
 この子を中絶するという選択を、と。

「それにね…………これは、正直、あまり、認めたくないことだけど……赤ちゃんは、あなただけの力でできた訳じゃない。父親の存在は無視できないのよ」
「父親…………」

 香澄は、その言葉に胸が痛んだ。
 自分がねだったせいで。
 自分の恋愛を知りたいというわがままのせいで、本来ならなるはずじゃなかった、自分の子供の父親という立場にさせてしまうところだった…………綺麗すぎる男性のことを、香澄は哀れにすら思った。

「あ、もう行かなきゃ」

 拓人は、香澄の頭をもう1度撫でてやると

「明日また来るから、欲しいものあったらメールしなさい」
「あの……そしたら……」
「何かしら」
「リュウ……じゃなかった……小説のネタ帳を持ってきてくれませんか?」
「それは、拒否権は行使してもいいのかしら。絶対安静なはずだけど」
「仕事はしませんし、ペンもいりません。ただ、ノートが欲しいんです」
「見るだけなのね」
「はい」
「…………分かった。明日、持ってくるから」

 そう言うと、拓人は今度こそ病室の外へと消えていった。
 香澄は、それからそっと、自分の頭を撫でた拓人の手を思い出しながら、無意識にぼそりとつぶやいた。

「先生とは……違う手…………」
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