二次元の外には、予想外すぎる甘々懐妊が待っていました
「今はちょうど5時ね」

 八島が、自分の腕時計をさっと確認しながら教えてくれた。
 宝石がキラキラと輝く、見るからに高そうな腕時計だった。

「5時……」

 香澄は、急いで窓を見た。
 窓の外に、建物は一切なかった。
 ただ、昼と夜の境目のマジックアワーの空が広がっていた。

(まずい……もうこんなに空の色が変わっている…)

 キラキラしたイケメン2人に囲まれ、喧嘩に巻き込まれていたせいもあり、香澄は時間感覚を忘れていた。
 引きこもりで体調不良が続いており、なおかつ不規則な生活を繰り返している香澄ではある。
 だが、香澄には、特定の時間、特定の事をしなくてはいけない習慣があった。
 その時間まで、一刻の猶予もなかった。

(どうしよう……)

「香澄?」
「どうしたの?具合悪いの?」
「あの、ですね……そろそろ家に帰してもらうことは可能でしょうか?」
「え!?」

 八島と涼が、驚いた表情で香澄を見てくる。

「あなたまさか、そんな体調で戻るつもり?」
「体調は、おかげさまで良くなりましたので」

 半分は本当だが、半分は嘘だ。
 実は先ほどから少しずつ、また胃がムカムカし始めていた香澄は、トイレに行きたい欲を必死で抑えていた。

(……それだ!)

「あのぉ……ここ、八島先輩……の家、ということで合ってます……か?」
「そうよ」
「正確には、僕の持ち物で、貸してあげてるだけなんだけど、ね」
「…………借りて、あげてる、の、間違いじゃないの?」

(どうしてこの2人は、口を開くとすぐに喧嘩を始めるんだろう?)

 兄弟という存在もいなかった香澄には、よくわからない感覚だが、ほんの少し羨ましいと思った。
 なぜなら香澄には、思う存分喧嘩をできる人はもう、いないから。

「すみません、ちょっと具合悪くて……」
「あっ!そうよね、ずっと具合悪いって、言ってたわよね」
「はい、それで……お手洗いに行かせていただきたいのですが……どちらですか?」
「ああ、それは廊下を出てすぐ右の扉よ」
「ありがとうございます」

 香澄が立ちあがろうとすると、同時に涼も立ち上がった。

「…………あの……?」
「何?」
「いえ、何じゃなくて……」
「香澄が具合悪いなら、付き添うのは当然だよね」
「いえ、そういうのは……」

 香澄は困った。
 できれば、1人になりたかったから。
 計画のために。
 すると、八島が本当の意図を察したのか、それとも察していなくても気を利かせただけなのか、涼の手首を掴み、そのままソファに押し倒した。

「っ!?」

(美女がイケメンを押し倒している図!?)

 香澄にとっては、資料写真をぜひ撮らせてほしい程の美味しいシチュエーションではあったが、今はそれどころではない。

(悔しいけど……)

「香澄、お手洗い、いってらっしゃい」
「あ、はい」

 香澄は、ちらと涼を一瞬見た。
 その時は、涼は香澄の方を偶然にも見ていなかった。
 だから、よかった。
 もしまた目が合ってしまったら、磁石が引き合うように惹きつけられるのではないかと思ったから。

「それじゃあ、お借りしますね」

 香澄はそう言うと、わざと大きな足音を立てて、トイレだと教えられた扉を開いて閉じる。
 それから今度は、こっそり音を立てないように廊下を歩き、自分が寝かされていた部屋へと戻る。
 もちろん、扉の開閉音は聞こえないようにそっと。

(あった……!)

 どうにか、自分の少ない荷物を回収した香澄は、また音を立てないように玄関へと向かった。

(後で、先輩には謝っておこう……)

 本当は、こんな事をしない方が人としては正しいのだと分かっているけれど、香澄はこうでもしないとこの部屋から出してはくれない……そんな予感がしたので、強硬手段を取ることに決めた。
 そうして、香澄は無事に玄関の扉から外に出ることはできた。
 目の前の景色を見て、自分がいた場所が最寄駅近くの最も高級なマンションの最上階だったということに、初めて気づいた。
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