90日のシンデレラ
 静かな機械音がして、箱が上昇をはじめる。真紘と北峰だけをのせて。
 エレベーターパネルの前で震える真紘と、その真紘を通せんぼした北峰がいる。その距離、決して遠くない。

 青ざめる真紘に向かって、北峰は尋ねた。
 「 シーナちゃん、俺のこと、知らないの?」
 知らないとは、一体なのことだろう。
 「し、知りませんよ。子会社にまで東京本社のことは、全然きこえてきませんから」
 そう、知らないものは知らない。今のように本社のことが地方にまで全然きこえてこないから、業務改善レポートがああいった内容になったのだ。

 そっか、知らないんだ~と、少々納得がいかないように北峰はつぶやく。真紘の孫会社では無名だが、目の前のこの人は東京本社ではすごく有名な人らしい。
 けれど、田舎の孫会社社員の真紘には関係ないことである。

 「ちょうどいいや!  知らぬが花で、ね、シーナちゃん、部屋、貸してよ」
 自分の存在が知られていないことを認めて、それはそれで吹っ切れたらしい、北峰は交渉に戻る。
 「お断りします! っていうか、どうして初対面でそうなるの!」
 上昇するエレベーターの中で、真紘も必死になって拒絶する。興奮していれば、もう真紘の言葉尻も砕けたものになっていた。

 上昇する箱の中で、北峰と真紘が、「お願いだ」「できません」を連呼する。
 一階の社員が、ちらっとだけどエレベーターでふたりきりの真紘と北峰の姿を目撃している。だから、ここでセクハラみたいなことはしないはず。いや、そうであってほしい。
 本社社員のモラルの高さをささやかな希望にして、真紘は頑固に言い張った。

 「私にはできません! 他を当たってください」
 「いや、ダメだ」
 「どうしてですか?」
 「だって、あの物件がほしいから」

 素直に北峰は、ほしいのは真紘でなくて社宅なのだと、ある意味失礼なことを白状したのだった。
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