90日のシンデレラ
 (落ち着け、落ち着くの!)
 (北峰さんはいったのよ、興味があるのはこの部屋だって)
 (そう、私のことなんて、興味はないのだから)

 自分のことには興味はない――はっきりそう北峰はいった。ほしいのは、社への通勤の便のいいこの部屋なのだと。
 これ、一見ひと安心のように思われるが、よくよく考えてみれば、真紘には「女としての魅力がない」といっているのと同じことである。エレベーター内の時点ではわからなかったが、帰宅してから真紘は気がついたのだった。

 (とんでもないことになったと思ったけど……)
 (ここが社の物件であることを考えたら、心配しているようなことは起こらないかも)
 (コンペ総括の責任者であれば、無謀なことはしないはず)

 帰宅してからそう結論付いて、真紘は総務へ苦情を入れたりしなかった。中途半端に相談して大騒ぎにするのもなかなか勇気がいるし、相手は本社社員の上司なのだ。絶対、真紘が不利である。

 実際に玄関の靴をみて、再度今までの状況を整理する。
 多分、自分の身は侵害されないだろう。それはそれでいいのだが、北峰にとって自分が恋愛対象外であるということが決定的になる。
 自身の安全が確定できるとしても、結婚適齢期の女性であることを思えば、どうも腑に落ちない。複雑な心境だ。

 (ああ、ダメダメ。孫会社代表できているの!)
 (もっとしっかり自分を持っておかないと。パブリックとプライベートは別!)
 (間借り生活がはじまれば、毎日が勝負! ってことになるんだから)

 玄関先で耳を澄ます。物音から北峰の居場所がわかるはずだ。
 でも、自分の呼吸音がやたらと大きくきこえるのみで、玄関から先の空間はしんとしたまま。
 静かに靴を脱ぎ、廊下を進む。おそるおそる真紘は、リビングダイニングへの扉を開いた。
 そこに、北峰は……いなかった。外出前のリビングダイニングに変わりない。

 (え? いないの?)

 金縛りから解けたかのように、真紘は別の部屋も確認する。どの扉を開けても、北峰はいなかった。
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