90日のシンデレラ
 (北峰姓が多い?)
 (よくある名前というわけではないけど、下の名前で区別しなければならないほど多いのかしら?)

 そんな疑問を真紘は抱いたが、すぐにかき消された。北峰が不在とわかって、大村が作業をやめて退勤を表明したからだ。「瑠樹さんのチェックがもらえないのに、ここで延々と作業をしていたら、山形さんが帰れないもんね」ともいう。
 そして真紘に向かって、
 「どちらの方向へ帰りますか? よければご一緒しません? 同世代同士、いろいろお話したいです」
 と、笑顔をみせた。

 これは、一般的なガイダンスなどで知ることのできない社の内部事情をきくチャンスかもしれない。
 素直に真紘は、大村のお誘いを受けたのだった。



 よくよく確かめれば、大村とは帰る方向が逆であった。なので、女子社員の親睦会は最寄り駅までのこととなる。
 同世代で、また大村が営業部ということで話術に()けていれば、すぐにふたりの会話は弾むものになった。

 「瑠樹さんって呼ぶのは、ご本人の前でも大丈夫なのですか?」
 先週の顔合わせでは、一度も「瑠樹さん」の単語は出てこなかった。もしかしたら、あの呼称は本人のいないときだけかもしれない。気さくなふうである北峰だが、やっぱりデリケートな問題だ。
 
 「大丈夫よ。本人がそうしてくれって、いったから」
 なんと、下の名前で呼ばれることは、北峰自身の希望であった。
 「そうなんですか! うちの会社だと馴れ馴れしいと叱られますから、ビックリです」
 「といっても、他の北峰さんは違うわよ。本人の前でもOKなのは、瑠樹さんだけだから」
 「!」
 
 (あぶない、あぶない)
 (これ、大事な暗黙のルールじゃない)
 (大村さんとお話できて、よかった~)

 うっかり呼称でミスして心証が悪くなれば、間借りの件でも孫会社の印象の件でも、真紘は不利になる。
 「ありがとうございます。他の北峰さんに会ったときは、注意しておきます」
 そう真紘がいえば、大村は「そうそう、そうしてね」という顔になった。



< 61 / 159 >

この作品をシェア

pagetop