90日のシンデレラ
 ごくごく普通に北峰がいう。涼しい顔をして、この部屋の住人のようなスタンスで。
 本日の北峰は革靴で、クローゼットのスーツを着て出ていった。いま目の前にいる北峰は、白のワイシャツ姿だ。といっても、タイを解き、ボタンを外してラフに襟元を開いている。帰宅直後のリラックスしたサラリーマンという感じである。
 この平然とした北峰の姿をみて、真紘はたまらず絶叫した。

 「えーーー!」
 「もう、やだーーー!」
 「家へ帰りたい!」

 自分は一昨日からさんざん緊張をして、ありとあらゆることを推測して、行動を決定してきた。だけど、それはすべて徒労に終わった。
 徒労で終われば、それでいいものの、一日の最後の最後で真紘の悩みの種の張本人が登場した。着崩しているが北峰はスーツ姿で、真紘は就寝前のノーメイクの無防備な姿だ。このことだけでも恥ずかしいのに、北峰は真紘の気苦労を知らず、のほほんとした態度で話しかけたのだ。
 もう真紘は色々な意味で限界点を超えて、本音を口にしてしまったのだった。


 ***


 「そんな、耳元で叫ぶことないだろうに」
 「……はい、すみません」

 リビングダイニングの入り口で、予想外の北峰の登場で緊張の糸が切れて真紘は取り乱してしまった。北峰の顔をみると同時に真紘が叫べば、至近距離で彼は大音量を浴びることになる。
 この真紘の攻撃を受けて北峰のほうも怒鳴り返すことも起こり得そうだが、事態はそうならなかった。なぜなら、北峰のほうが冷静沈着であったから。北峰はただ沈黙して、真紘のパニックが消え去るのを我慢強く待ったのだった。

 「確かに、いろいろ順番が前後しているのは認める。今回はこちらにも非があるので、今日のことはなかったことにするが、次からは落ち着いて行動してもらいたい」
 「……はい、可能な限り、努力します」
 教師然とした北峰のいい様に、𠮟られる生徒のように小さく縮こまる真紘の図ができていた。
 「では、本題に入る」
 北峰は依然、感情的にならず、淡々と告げた。

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