余裕な後輩くんは,一途に先輩を想う。
『困ってるなって,一目で分かったので。向かって来てたんですけど……さっき,泣いてるのかと思って,つい焦ってきちゃいました』

『なっ?! あ……それは,コンタクトがズレて直そうとしただけです……すみません』

『いえ』

『あ,お茶……これであってます』



そう言った私に,一ノ宮さんはふっと弱く笑って。

私の胸は少しだけ音を立てました。

そうしながら,また。

私は突然伸びてきた腕を思い出していました。

何であんなに勢いよく伸びてきたのかを理解して,私は咄嗟に恐れたことを申し訳なく思いました。

その上で,思っちゃったんです。

何で?

って。

そこまで思って貰うような仲ではありませんでしたから。

正直,名前をすらっと呼ばれたことにさえ,驚いた程でした。

敬語を使われた事も,不思議で堪りませんでした。



『……じゃ』



居心地悪そうに,一ノ宮さんは去ろうとしました。

そこで初めて,私は声をかけたんです。

一ノ宮さん。

舌に慣れない言葉でした。

思えばここでさん付けをしてしまったから,変えられなくなったんだと思います。



『これが欲しかったんです。ありがとう』



少しむずかゆい気持ちで微笑むと,一ノ宮さんはほんの少しだけしか私を見ずに,そのまま行ってしまいました。

それでも,私はその背中を見ながらきゅんとしてしまったんです。

私に全部託されてるみたいな,幼子みたいな表情も,何もかも。

可愛いと思えてしまって。
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