英雄閣下の素知らぬ溺愛
 アルベールがエルヴィユ子爵家を訪れたのは、予定通りその日の昼過ぎのことだった。カミーユを筆頭に、バスチアンやアナベル、エレーヌと、総出で彼を出迎えたエルヴィユ子爵家の面々は、馬車から降りた彼の姿に、その目を見開いた。

 そのまま夜会に足を運んでも見劣りしないだろう、濃いグレーのジャケットに、細かな刺繍が縫い込まれている上品なその服にも視線を奪われるのだけれど、それ以上に。

 美しく背に流れていた彼の銀色の髪は、今では肩にもつかない程の長さに切られていたからだ。



「ようこそおいでくださいました。ミュレル伯爵閣下」



 一歩足を踏み出したバスチアンが、そう言ってアルベールを出迎える。ミュレル伯爵とは、アルベールが国王から与えられた伯爵位のことだ。先の戦争で争った北東の隣国との辺境の地にほど近い、ミュレルの地を治める者に与えられた爵位である。

 先の戦争で英雄と呼ばれるようになった彼がその地を治めることで、隣国への圧力にもなるということなのだろう。また、ベルクール公爵家の領地にも通じているため、ミュレルの隣地を治める辺境伯爵と共に、盾の役割を果たしているのである。

 バスチアンの元まで歩み寄ったアルベールは、その美麗な顔に笑みを浮かべて、「歓迎して頂き、ありがとうございます。エルヴィユ子爵」と、呟いた。



「これから何度も顔を合わせることになるでしょうから、どうかアルベールと。気負いなく名前を呼び合える関係になることが、私の目標ですから」



 夜会などでは見たこともない穏やかな笑みに、その場の誰もが目を疑うようにお互いの顔を見合わせる。いつもの彼は、やはり他人を寄せ付けないためにあのような硬い表情を作っていたのだろうかと、そんなことを思った。

 バスチアンやアナベル、そしてエレーヌに挨拶を終えたアルベールは、こちらに顔を向けると、数歩足を進める。美しい容貌に浮かぶ優しい笑みが、一段と嬉しそうに深まった。
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