英雄閣下の素知らぬ溺愛
「……とうとう、と言うべきか。やはり、と言うべきか」



 ミュレル伯爵邸の客間。華美過ぎず、しかし明らかに手の込んだ、同じ職人によるものだろう揃いの家具が、必要最低限置かれたその部屋。ソファに座ったカミーユは、隣に座るアルベールがそう呟くのに、こくりと頷く。「マイヤール卿の仰った通りですね」と言いながら。



「私が以前、ブティックで顔を合わせたトルイユ侯爵家のご令嬢、フランシーヌ・エモニエ嬢からのお手紙ですわ。話したいことがあるから、侯爵家に来てくれないか、とは。……大事な話とは、何なのでしょう」



 顔を俯かせ、膝の上の指先を見つめながら呟けば、アルベールは「ふむ」と呼んでいた手紙を折りたたむ。「文字通り、大事な話なのだろうな」と、彼は口を開いた。



「それが、誰にとっての大事な話かは知らないが。……だが、この手紙だけでは、手が出せぬ」



 不満そうに呟くアルベールに、カミーユもまた頷いた。

 トルイユ侯爵令嬢が、王宮での夜会の際、男たちを唆してカミーユを襲わせた主犯である。そう、カミーユたちは考えていた。それ以前に、オペラハウスでシークレットルームに侵入してきた者たちも、おそらく彼女を思っての行動だった。

 けれど全てに確固とした証拠がないのが現状である。生半可な状況証拠を持ち出したとしても、貴族の中でも高位に当たる、侯爵家の令嬢を拘束するのは難しい。

 だからこそ、結婚式という囮を使って、証拠を引き出せないかと動いているわけで。そんな中で送られてきたこの手紙は、とても重要な物だった。

 意味合いとしては、虎穴に入らざれば、というものだが。



「……大丈夫です。私が直接行けば、何らかの動きがあるでしょう。この手紙は、アルベール様が保管しておいてください。……私に何かあった時、言い逃れが出来ないように」



 ぎゅ、とアルベールの手を握って告げる。心の底から不快そうな表情の彼を、宥めるように。

 自分が分かっているのだ。彼が分からないはずもない。何か起きなければ、手が出せないのだと。ならば、何かが起きるような状況に出向くしかない。

 また夜会の日と同じようなことが起きるかもしれないと思うと、恐ろしくて仕方がないけれど、それでも。今回でなければまた次と、あてもなく怯え続けなければならないのだから。
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