英雄閣下の素知らぬ溺愛
 偶然を装った手前、恥ずかしさもあって恐る恐るアルベールの方を見上げる。
 アルベールは微笑を浮かべたまま、何やら小さく呻いて固まった。かと思えば、深く息を吸って吐き出してから、何事もなかったように笑みを深めていて。「ああ、気付かれてしまったか」と、呟いた。



「妹君が、君を喜ばせたいなら、と。確かにチケットは完売していたのだが、丁度私の母もその演目を見に行くつもりだったようでな」



 「君が見たがっていると言ったら、喜んで譲ってくれた」と続けられて、カミーユはぎょっとしてしまった。
 今、母のチケットを譲ってもらった、と言ったのだろうか。彼は。



 母、って……、ベルクール公爵夫人のチケットを譲ってもらったの……!?



 背の高いアルベールを見上げたまま、固まってしまう。
 パーティで何度か挨拶をし、言葉を交わしたことのあるベルクール公爵夫人は、輝く金色の髪に深い翡翠色の瞳を持つ女性だった。色合いこそ全く似ていないのだが、氷の妖精と謳われたそのあまりにも美しい容貌と、冷たい雰囲気がアルベールにそっくりだったのを覚えている。

 先王の弟であり、現国王の叔父にあたるアルベールの父、ベルクール公爵が、髪や瞳の色はアルベールと全く同じだったものの、どちらかというと穏やかでふんわりした雰囲気を持った方だったため、アルベールは色彩以外は全て母似なのだと、社交界では有名であった。

 そんな麗しの公爵夫人のチケットを、たかが子爵家の令嬢である自分が横取りするなど。



「お、恐れ多いことを……」



 思わずぶんぶんと首を横に振って言えば、アルベールはくすくすと楽しそうに笑って、「気にするな」と呟いた。



「母はすでに一度観劇しているから。内容が良かったので、もう一度見ようと席を取ったのだそうだ。私が君を誘うつもりだと言ったら、何故もっと早く言わないのかと怒鳴られてしまった。君が遠慮して返そうものなら、私が余計なことを言うからだと、また腹を立てるだろうな」



 「だから、遠慮なく誘われて欲しいのだが」と、アルベールは首を傾げて微笑む。

 一方、あの美しい貴婦人が、誰かを怒鳴るところなど想像も出来ず、カミーユは困惑の表情を浮かべながら、「わ、分かりました」と言って頷いた。
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