英雄閣下の素知らぬ溺愛
 確かに、あの場では諦めるしかなかった。いや、彼女が婚約を解消するあの瞬間まで、確かに自分は諦めていたのだ。彼女と結婚することを。誰かと結婚することを。自分は確かに、諦めていたのだ。

 「陛下は知っているでしょう」と、アルベールは呟いた。



「私が、……俺が、なぜ先の戦争で先陣を切ったか」



 ぼそりと言えば、テオフィルはまたも何とも言えないような顔になって、「まあ、知ってはいるが」と呟いた。



「それこそ、カミーユ嬢と婚約出来ず、自暴自棄になったとか。そうお前は言っていたが、正直、全く信じていなかった。……が、信じずにはいられなくなったな。諦めたと言っていたくせに、二年越しに捕まえようというのだから。……大した執着心だ」



 半ば呆れたようにぼそりと言うテオフィルに、アルベールはふっと小さく笑った。残念ながら、彼の言葉を否定することが出来なかったから。

 深い深い、恋情が凝り固まったような執着心。それゆえに、彼女と結ばれることがないと分かった時は、この命さえもどうでも良いと戦場に赴き、彼女が婚約を解消したと聞いた時はその場で婚約を申し込み、返事がどちらであってもその心に残るようにと、こうして先に髪を切って贈ろうとしているのである。

 「まさかお前が」とテオフィルが呟くのも無理はない話。自分も、他人の話として聞いていたなら同じ顔をしていただろうから。



「ある意味、彼女が婚約していたおかげで、お前はこの国を守ることが出来、英雄と呼ばれるようになったというわけか。では、最も感謝しなければならないのは私かもしれないな。どれ、私からも一言添えておこう。今から早馬で手紙を出せば、お前が到着するよりは先に届く。……最も、お前との婚約を断ることはないと思うがね」



 言いながら、テオフィルは何やら机の上の紙に書きつける。今彼が言ってように、カルリエ家に出す手紙なのだろう。

 普通ならば、そのようなことは必要ない、と言っていたかもしれない。アルベールにも、矜持というものは少なからず存在していて。それ以前に、結婚を考えるほどに愛する相手に対し、直接ではないにしても、王命を匂わせる形で決定を下すようなことはしたくなかったから。

 けれど今回、アルベールは素直にそれを受け入れることにした。それほどまでに、切羽詰まっていたと言えるだろう。正式に婚約を申し込んだ以上、次はないと分かっていたから。



 テオフィルも、誰も彼も、俺が求婚しているのだから当たり前に受け入れられると考えているようだが、……そう上手くいくとは思えぬからな。
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