英雄閣下の素知らぬ溺愛
「迷惑と思われるほど長居はしておりませんゆえ。女性たちと言葉を交わしていないのは事実ですが、加減はしているつもりです。まだ屋敷にカミーユを連れて帰っていないのですから」



 さらり、と言われて、カミーユは数度瞬きをする。それは一体どういう意味なのか。
 思わず首を傾げたカミーユに対し、その言葉の意味を的確に理解したらしいロクサーヌが、無表情のまま呆れたように頭を抱えた。「お前は、本当に……」と呟く彼女の声が震えていたので、このまま二人で会話をさせていては良くないのではないかと思い至る。

 「あの……」と、カミーユはおそるおそる、口を開いた。



「先日のオペラハウスの公演チケット、本当にありがとうございました。とても素敵な公演を見ることが出来て、幸せでした……!」



 今でも、鮮明に思い浮かべることの出来る素敵な公演と、その後の劇場からの配慮。これ以上ない程素晴らしい時間を与えて貰えたことが、どれほど嬉しかったか。

 二人の会話に割り込むのが目的であったが、それはそれとして心の底からの感謝の気持ちを伝えたかったのもまた本当であったため、カミーユはそう言って深々と礼の形を取った。手紙ではすでに伝えていたのだが、どうしても直接お礼を伝えたかったのだ。

 急に声を上げたカミーユに、ロクサーヌは少し驚いたように目を瞠った後、僅かに微笑んだ。「そんなに喜んでもらえたならば、良かった」と言いながら。



「そこの息子がもっと早く言えば、何枚でもチケットを贈ってあげられたのだが。……良ければ、今度は私と見に行かないか? 次の公演も中々面白そうなものだから……」



 どこか嬉しそうに提案してくるロクサーヌに、もちろんだと応じようとするけれど。傍に立っていたアルベールがすっとその腕をカミーユの前に出す。まるで庇うかのように。

 どうしてそのようなことをするのだろうと思い、見上げれば、アルベールは心の底から不服そうにその眉根を寄せてロクサーヌを見ていた。



「なぜ、カミーユが母上とオペラハウスに行くのです。そこは私にチケットを譲って、二人で行ってこいと言うところでしょう。息子の恋路が心配ではないのですか」



「……逆に、なぜ心配すると思った。さっさと婚約を解消してもらって、求婚して来いとあれほど言ったのに、今更運よくカミーユさんが婚約を解消したからと浮かれおって。本当に情けない息子だ。お前と観劇するよりも私の方がカミーユさんと趣味も合うだろうさ。……というか、母親にさえそんな態度とは、心が狭すぎんかお前は」



 アルベールの言葉に、鼻で嗤うようにしてロクサーヌは返す。どうやら性格も公爵ではなく夫人に似ているのだなと、そんなどうでも良いことを考えてしまった。
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