英雄閣下の素知らぬ溺愛
 廊下から応接室へと戻れば、アルベールがぱっと顔を上げて立ち上がり、カミーユを迎えてくれた。待ち侘びたというようなその姿に、知らず安堵する。

 陰口と言い、フランシーヌとの出会いと言い、思った以上に緊張していたのかもしれない。歩み寄ると手を差し伸べてくるアルベールの姿に、ほっと息を吐いた。



「カミーユ。どうかしたのか?」



 肩の力を抜いたカミーユの姿に、目聡いアルベールはすぐさま反応して声をかけてくる。びくりと、店主が身を強張らせたのを感じて、カミーユは首を横に振った。

 店員たちは、店主の計らいですぐにでも店を追い出されるだろう。カミーユの中では、すでにこの件は終わったことだった。

 それに、内容を説明するためだとしても、あの二人がアルベールの悪口を言っていたことを伝えたくはない。
 だからこそ、別のことを口にした。



「トルイユ侯爵令嬢とお会いしました。噂に違わず、とても美しい方でしたので、緊張してしまったのです」



 これもまた、本当のことであったため、さらりと口にする。アルベールや、ベルクール公爵夫人とはまた別の、儚げな美貌の令嬢。

 アルベールは数度瞬きをした後、「ああ、フランシーヌが来ていたのか」と呟いた。



「トルイユ侯爵家も、このブティックの常連だったな。……緊張するようなことを言われたのか?」


 僅かに鋭くなる視線に、慌てて首を横に振る。先の騒動を口に出来ないため、「ご挨拶させて頂いただけですわ」と、答えた。

 フランシーヌは、自分たちのことを庇ってくれたのである。悪い印象を与えたくはなかった。



「美しい方にご挨拶すると、緊張するものなのです。噂通りに、まるで精巧な人形のように可憐な方でした。……アルベール様も、そう思われませんか?」



 ふと思い立ち、おそるおそる、そう問いかけてみる。
 アルベールがカミーユに好意を抱いてくれているとしても、他の誰かに目移りすることがあるかもしれない。

 フランシーヌのように美しい人ならば、なおさら。そう、思ってしまって。

 アルベールはカミーユの不安そうな顔を見た後、軽く額に手を当てて、小さく唸り声を上げる。ほんの一瞬の間を空けた後、彼はいつもよりも甘やかな笑みを浮かべていた。



「確かに、人形のようだというのは、よく分かる表現だな。昔から、感情の無い笑みを浮かべる従妹だったから。……だが、私にはどう考えてもカミーユの方が美しいと感じる。あまりにも愛らしく、愛おしいから、閉じ込めてしまいたくなる」



 まるで本気で口にしているかのようなアルベールの冗談に、カミーユはその顔を赤くしながらも、ほっとしていた。
 フランシーヌのように美しい人を前にしても、きっとアルベールは変わらないだろうと、そう思えたから。

 そんな二人を見る店主が、「あらあら」と楽しそうに声を漏らしたのに、本人たちが気付くことはなかった。
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