おっちゃんはヒーロー
おっちゃんはヒーロー
枯れ葉が舞い散る頃だった。公園のベンチに黒い野球帽を被った初老の男が項垂れていた。
俯いているのか寝ているのか、帽子の鍔に隠れて全体の顔は見えないが、げっそりと痩けた頬は、ろくに食べてないことを物語っていた。
男は突然顔を上げると、ベンチの横に備えつけた空き缶の灰皿から適当な吸殻を選び、ジャケットのポケットから使い捨てパイプとライターを出した。
脂のこびりついた透明のパイプに吸い殻を嵌めるとライターの火をつけた。
煙草の煙を口に含むと、空に向かって頬をポンポンと指先で叩き、煙の輪を作った。
そのドーナツ型の輪はまるで、空に浮かぶ雲のようだった。
吸い終えると、何を思ったか突然立ち上がり、今度はゴミ箱から新聞紙を取り出した。
一枚を半分に切り、それをまた二等分にして切ると、何やら折り始めた。
男が夢中で折っていると、
「おっちゃん、うまいな」
不意を突かれてびっくりした男が振り向くと、小学4~5年ぐらいの青いセーターの少年が覗いていた。
「そうか?」
「ね、飛ばしていい?」
「ああ、いいとも」
「はい、じゃ100円」
少年は紙飛行機を受け取ると、男の手に100円硬貨を載せた。
「…………」
突然の臨時収入に、男は面食らった。
ピューーー--
「わぁ、すげー! 飛んだっ!」
紙飛行機は、鱗雲が浮かぶ青空を気持ち良さそうに飛ぶと、楓の梢に当たって落ちた。
少年は急いでそれを取りに走ると、
「おっちゃん、ありがとう!」
と、礼を言って駆けて行った。
「ああ」
男は少年を見送ると、掌に載った100円硬貨を見つめた。
翌日の午後。ガムをクチャクチャ噛みながら男が紙飛行機を折っていると、
「おっちゃん、友だち連れてきたで」
昨日の少年が数人の少年を伴っていた。
男は一人一人に目を合わせて笑顔を作ると、頭を下げた。
「おっちゃん、紙飛行機、僕にも作ってや」
黄色いセーターの少年が口を開くと、僕にも、僕にも。と他の少年らも続いた。
「ありがとな。1、2、3、4、5。5機やな」
男は人数を数えると、傍らに積んだ新聞紙を一枚を取って丁寧に折り始めた。
マジシャンのように器用に動く男の太い指先を、少年らは食い入るように見つめていた。
「はい、できたで。最初は誰や?」
「はいはい、僕っ!」
黄色いセーターの少年が手を挙げた。
「5機の中で、どれにする? 好きなの選んでや」
「ほな、これにするわ」
「それは、真っ直ぐ飛ぶやり飛行機や」
「ほんまに? 楽しみやな。はい、100円」
と、積んだ新聞紙の上に100円硬貨を置き、紙飛行機を受け取った。
「そーれ」
ピューーー--
鰯雲が浮かぶ青空を気持ち良さそうに紙飛行機が飛んでいた。
「ヤッホー! 飛んでる」
黄色いセーターの少年は、空を見上げて笑った。
「残ってんのは、やり飛行機にイカ飛行機にへそ飛行機や。どれにするか選んでや」
男がそう言うと少年らはそれぞれに選んで、紙飛行機と交換に100円硬貨を置いた。
「わーい!」
少年らの楽しい笑い声と一緒に、青い空をたくさんの紙飛行機が飛んでいた。
ピューーー--
ピューーー--
ピューーー--
ピューーー--
ピューーー--
ピューーー--
男は嬉しそうに、その光景を眺めていた。
ところが、それから間もなくして、【黒い野球帽のホームレスが子どもらから金を巻き上げている!】
そんな噂が広まり、近所の住人が公園に集まってきた。
いつも同じベンチに座っている男を探すのは容易だった。
「あんたか? 子どもらから金巻き上げてんのは?」
太った中年女が無遠慮な口を利いた。
「…………」
男は俯いて、黙っていた。
「大の大人が子どもらから金取ってからに、恥ずかしくないんかい?」
女が続けた。
「何言うてんねん、おばちゃん! おっちゃんは一度も金くれとは言うとらん。僕らが勝手にあげただけや」
駆けつけた青いセーターの少年が口を挟んだ。
「そうやそうや。おっちゃんは金くれとは一度も言うてへん」
ついてきた少年らの一人、例の黄色いセーターの少年も荷担した。
「……どっちにしてもホームレスはホームレスや。子どもらにいい影響は与えへん」
「何、言うてんねん! おっちゃんは紙飛行機が上手な、僕らのヒーローやで!」
「そうやそうや、ヒーローや!」
少年らが声を合わせた。
「何がヒーローや? 仕事も家も金もない、恥ずかしいホームレスやないかい!」
尚も女が続けた。途端、青いセーターの少年が女の腕を思い切り押した。
「痛っ! 何すんねん!」
「おばちゃん、言うていいことと悪いことがあるで。誰も好きでホームレスなんかせんわい! 大人のくせにそんなんも分からんのか?」
男は俯いて泣いていた。
「……おおきに。こんなおっちゃんを庇ってくれて、ほんまおおきに」
男は鼻を啜りながら何度も頭を下げた。
「誰がなんと言おうと、おっちゃんは僕らのヒーローやっ!」
「そやそや、ヒーローやーっ!」
少年らが連呼した。
少年らに圧倒された女は、体裁悪そうに小さくなった。
だが、誰が通報したのか、間もなくして警官がやって来た。
「あっ、これな、いつか渡そう思てたんや」
男はそう言って、ボストンバッグから白い封筒を出した。
「ほんま、おおきに。みんなもありがとな」
男は青いセーターの少年にそれを手渡すと、そう言って頭を下げた。
そして立ち上がると、片足を引き摺りながら警官について行った。
「……おっちゃん、足悪かったんやな」
青いセーターの少年は小さく呟くと、封筒を覗いた。
中には白い便箋があった。
少年は三つ折りの便箋を広げた。
〈何から話そうか。まず、君に会えたことを感謝してます。
あの時、君が声をかけてくれんかったら、おっちゃんは死ぬつもりやった。餓死か凍死で。
100円、ありがとな。君からもらった100円で何買うたと思う? ガムや。口が臭くて君に嫌われたくなかったさかい。
みんながくれた500円で食べもん買うて生き延びれた。
みんな、おおきにな。みんなのお陰で、幸せな夢を見られた。
楽しい時間を過ごせたおっちゃんは、ほんま幸せもんや。
君たちはおっちゃんのことをヒーローって言ってくれたけど、おっちゃんには、君たちがヒーローやった。
おおきに。ほんまにおおきに。このご恩は一生忘れへん。そして、みんなに恩返しするまでは死なへんで〉
読み終えた青いセーターの少年は泣いていた。
溢れる涙をセーターの袖で拭いながら、
「おっちゃんは、僕らのヒーローやーっ!」
鯖雲の浮かぶ青空にそう叫ぶと、紙飛行機を飛ばした。他の少年らも一斉に飛ばした。
ピュー--
ピューー--
ピューー--
ピューー---
ピューー----
ピューー----
6機の紙飛行機が、息を合わせた航空ショーのように秋の空を飛んでいた。
おわり