遠き記憶を染める色

⑫私の中に産まれたモノ、彼の中の壊されたモノ

私の中に産まれたモノ、彼の中の壊されたモノ


「あのね…、私、海で泳いでて、気づいたんだ。体と脳で…」


「何をよ、流子?」


「水とのフィット感よ。海には流れがある。風で波がたち、太陽で水温が変わるわ。風も向きや強さで波は常に変化してるし、水温だって水深によって違ってくる。広大な広さと深さを有する大海は、その相互作用で様々な現象を生むわ。私たちが生きる陸の近くでも。私達人間でも垣間見ることのできる一つが、海表面に隆起する潮流よ。潮は水が受ける複数の刺激によって生じる…」


「…」


昼食時、A子とB美は流子の”解説”に、カレーライスを口に運ぶスプーンを持ったまま、ぽかんとしていた。


***


「…水の動きが限定される狭いプール内ではさ、クロールだと一方向なの。でさ、平で水を搔くと多方向…、隆起する潮の卵を産む運動になるんだよね。”それ”を起こして、今度は自分のカラダに渦の流れを汲んだ水の反応が返ってくる…。そのフィット感がたまらないんだよね。わかった?」


「???」(A子&B美)


”アハハ…、そんな難しく考えることないよ。要は股開いて泳ぐんで、渦作った水がお股に入って気持ちいいのよ。でもさ…、そもそも、魚からしたら泳ぎになってないよ、私達人間は。それは、所詮水を必要最低限度の範囲だけ渡るってとこに留まるのよ。魚からしたら、へっぴり腰のつり橋渡りに見えてるはずよ”


この感覚は以前から持っていた。
そう…、サダトが潮に引っ張られたあの場を、その幼き目で目撃した時から…。


”水との一体感を意識できなきゃ、そもそも泳ぐという根本が理解できない。その意識を、サダト兄ちゃんは潮の中に引きこまれて臨体験したことで、一旦は陸で生きてきたそれまでの人間としての自分は死んだのよ。そして何が起こったかというと、…陸に生還したお兄ちゃんは、人の愛し方を変えられてた。ううん、お兄ちゃんは自分の意思で、変えたのよ。本当の海を知ったから…”


流子がここまでの認識に至ったのは、ごく最近になったからだった。


”それは水を宿す宇宙だってことなんだと思う。8歳の私は、その場に立ち合った。今から思うと、そこで水を知ったのだろう。その水とは一体にならないと!そこに達すれば、サダト兄ちゃんとホントに愛し合える…。きっと。だからさあ…、大股開きの平泳ぎなのよ(笑)”


***


合宿最終日の午後、帰り支度にかかっていた流子たち水泳部のメンバーは、皆はしゃぎまわっていた。
8日間の夏季合宿を無事修了できたことでの充実感と安堵感…。


当日夜、”夜行バス”で千葉南端への帰路につく彼女らは、胸が躍る気分だったに違いない。
さらに…‼、だった。


「…じゃあ、頼むよ。大岬のバスターミナルに着くまでは、みんなに言わないで。A子とB美にしか話してないんだからさ」


「わかってる、わかってるって!うふふ…、レッツロールの甲田サダトが流子を迎えに来てるなんてわかったら、他の部もこぞって押し寄せてパニックになるもんね。あえて、その場でわかっちゃった方が返って騒ぎは限定されてさ、流子達を程よく開放すると思うよ」


「そうそう…。でもさ、ツーショットとは言わないから、私たち親友二人には彼とのスマホ撮りくらいはよろしくだよ、流子」


「うん…、それはうまく誘導するから」


A子とB美は目を爛々とさせて、翌朝のサプライズにときめいていた…。
もっとも、”明日の早朝”を一番待ち焦がれていたのは、潮田流子であったのは言うまでもない。


***


アイドルとなって大岬に”戻っている”サダトとの再会…。
実に4年ぶりになる大岬での二人…。
当然、この間の流子とサダトは自己に大きな変化をもたらした。


それこそ、思春期の流子は心とカラダがどんと成長した。
一方、生き馬の目を抜く芸能界に身を置いたサダトはそれこそ、自分を取り囲む環境が激変したことで、自分自身の内面までを変えることを要しただろう…。


それは、年上の大物女優、長嶋弓子と育んだ愛と破局…。
24歳の青年に、どれほどの衝撃を与えたことだろう…。


だが、流子の想いはもっと先、深いところに達していた。


”サダト兄ちゃん…、大丈夫だよ。私、お兄ちゃんの壊されたモノが見えるから…。あなたには私の中に産まれたモノを、大岬の海で見せる。きっと分かり合えるよ、私たち…。全部…”


そしてその夜、彼女たちを乗せたバス2台は、長野北部の合宿先から発った…。




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