stalking voice〜その声に囚われました~
「忘れ物ない? 」
結構長く住んだけど、大して愛着のない部屋の玄関で泉くんが言った。
「うん」
「もし何かあっても、むこうで揃えたらいいよ。人数たくさん増える前に、君のもの増やしてかないと」
ほんと、狭い玄関が似合わないな……なんて、つまらないことでクスッと笑ってしまったからか、そんな逆襲をされてしまった。
「名残惜しい? なんか、寂しくなったりする……? 」
玄関を占拠した荷物を持ってくれながら、少し心配そうに言った。
まるで、持ち上げたはいいけど、本当にいいのか確かめるみたいに。
「ううん。泉くん、この部屋似合わないから、よかったなと思って」
「何それ。ショックなんだけど。まあ、でも……」
――君とは、似合ってるでしょう。
「なら、いいよ」って、また耳に意地悪されても。
(……それは、まだ自信ないけど。でも)
それでも、一緒にいたい。
似合わないって気にしたのも、それでもどうしてもって通したくなる強い気持ちも初めて。
「だから、寂しいなんて、全然そんなことないよ」
「ありがとう。不安はあると思うけど、その時はすぐに言ってね。僕も、寂しい思いさせないようにするから。というか、寂しいなんて思う暇、君にはないかも」
バッグを持ってるのに、それが私に当たらないように気を遣ってくれながら、器用に頬に触れて唇が重なる。
「おいで」
「荷物、持ってくれすぎだよ」
差し伸べた手に私が掴まったりしたら、もっと。
「大丈夫。ほら、行こ」
エレベーターで降りてマンションを見上げても、特に何もこみ上げてこない。でも――……。
「マッチングアプリ、結構使えるよ! ○○で、彼氏できたんだー」
泉くんの車に乗る直前、そんな声が聞こえてきた。
女の子たちの話題に上ってたのは、Beside Uじゃなくて、母でも知ってたような大手の名前。
(そりゃ、そうだよ。そんなに有名じゃないもん。顔出し不可の、声から始まる恋愛なんてマイナーだし、実際会うには賭けすぎる。私はたまたま、奇跡なくらいの……)
――幸運。
「あゆなちゃん?」
「あ、うん」
荷物をトランクに詰め込んでも、ぼーっとして助手席のドアを開けない私を呼んだ。
――その声に、心配させる理由なんてない。
……よね?
「泉くん……?」
ドアを開けて、車に乗り込んで。
シートベルトを装着しても、出発の気配がない。
ついさっきまで私待ちだったのに、「私はすぐにでも出れるよ」ってアピールすると、運転席から彼が近づいてきた。
「ドレス、どんなのがいいかな。……あ、花嫁さんは男に見られると縁起悪いんだっけ? でも、見たいな」
そうだっけ。
あんまりそういうの詳しくなくて、首を傾げる私に笑うとシートベルトで拘束された私の両頬を包む。
「準備、一緒にしようね。こういうの、奥さんばっかりがやるの変だと思うんだ。だって、僕の結婚式でもあるんだよ? 君にだけ、させるわけにはいかないな」
「……ありがと」
絶対、忙しいのに。
マリッジブルーにならないように、そんな気まで回してくれて。
「何も気負うことないよ。君はここにいて、僕を好きでいてくれたら……」
その先は、聞き取れなかった。
ううん、聞こえたはずなのに、脳が処理を拒んだのかもしれない。
――それだけで、何もしなくていいんだよ。
(……ちがう……)
しゅるっと音がして、シートベルトの小さな締め付けさえ緩んだ。
一瞬だと思ったのに、反動で私の身体に跳ねないように押さえる余裕は、優しいのか強かなのか。
何にしても、私は。
「……ん……」
別のものに拘束され、がんじがらめで。
それを息苦しいどころか、心地よく感じて自分からきゅっとしがみつくあたり、私を束縛するのにもうどんな拘束具も必要ないんだ。
だって、もう既にこの手は知ってる。
目を瞑ってても、今の私が気持ちいいと思えてしまうくらいの荒いキスをされながらでも、私が捕まえやすいように傾けた彼の腕や背中の位置が、こんなにも的確に。