stalking voice〜その声に囚われました~










・・・




「いってらっしゃい」

「うん」


会話としては少し――結構おかしくて、成り立ってないんだと思う。
でも、我が家の朝は毎日これだ。

「ばいばい」と小さな手を取って振ってみても、彼はいっこうに玄関に向かおうとはせず、寧ろ引き留められたように遠ざかるどころか側に来てしまう。


「……また遅刻するよ? 」

「だね」


ちっとも構わないのか、愛しそうに我が子の頭をそっと包むように撫でる。
その力加減も、手指の触れ方も、私の腕にいるこの子に注ぐ視線も。
どれをとっても愛情が伝わってきて、私も嬉しくて強くは言えない。


(……って、だめだめ)


「今日こそ、怒られても知らないんだから」

「んー、でも、僕を叱るのって親くらいだよね。恥ずかしいけど。でも、その二人だって君や孫にデレデレじゃない。だから、大丈夫」


確かに、もともと優しかった義父母は、孫が生まれて更に私にも甘くなった。
でも、そういう問題じゃない。


「そうだけど……ほら、いってらっしゃい、してるんだから、いってきて」

「なんか、最近冷たくない? ね、ママ意地悪だよね」


もう一度、ばいばい。
子どもの手を使って、半ば強制的に送り出そうとする私に、大袈裟に傷ついた顔をして、赤ちゃんに同意を求めてるけど。


「あれ。ママの味方されちゃった」

「客観的に見て、私が合ってるんだから仕方ないよ」

「客観的って」


もちろん、当の赤ん坊は、何も分からず私たちが言い合ってるのをきゃっきゃと楽しんでるだけだ。
別に、どっちの味方をしてるわけでもない……はず。


(自分は、赤ちゃんを味方につけようとしたくせに……)


ぷっと吹き出されてつい拗ねると、まるで、赤ちゃんの柔らかな頬を突くみたいに、私の頬にちょん、と触れた。


「相変わらず、可愛いの。……君、本当は僕を引き留めようとしてない? 」

「……し、してない……! 」


昨日の朝は、ここで堕とされた。
完敗だった。昨日っていうか、いつも。
そういう泉くんは、相変わらず器用だ。
いくら、子どもが小さいからって、この朝の忙しい時間帯に母子同時に抱き寄せ、愛情を注いでくれる――いや、子どもには隠れて、のことも、あっ――……。


(……き、今日こそは、だめだから……! )


「……そんな、赤ん坊を使って拒まなくてもいいのに。ひどいな」

「……う、だ、だって……」


お母さんになってないと、私ひとりじゃ。


「じゃなきゃ、僕を拒めない? ……知ってるよ」


もごもごする暇もなく、耳元に先回りされた。
ビクッと反応したのを、本当に愛しくて堪らないというように見つめられ、朝だというのにその視線を受けた身体が熱くなる。


「そういえば、親がこの子預かってくれるから、たまには二人きりでゆっくりしたらどうかって。さっそく、甘えちゃおうか」


もう、私の体温を計り終えたの。
何てない話の内容なのに、そうやって耳打ちしたりして。


「……そ、その為にも! 遅刻はだめだと思う」


(だから、今朝はもうばいばい……!)


頑なに小さな手の助けを借りる私に笑って、その柔らかな指を取った。


「はーい。じゃ、気をつけてね。何かあったら、すぐ連絡……」

「大丈夫! いってらっしゃい……! 」


彼の気が変わらないうちにと玄関に誘導すると、途中立ち止まられてギクリとする。


「あゆなちゃん」

「え……?」


ついさっきまでとは全然違う雰囲気に、何事かと身構えたけど。


「愛してる」


それは、告白だったのかもしれない。
ずっと想像して、恐らくそれが真実だと思いながら、けして確認しなかったこと、すべての。


「……うん。私も、知ってるよ」


その答えもまたおかしいと、彼は思うだろうか。
それとも。


「そっか。……じゃあ、覚悟しておいてね。二人きりになっちゃったら……」


――ぐずぐずに、愛してしまうから。


伝わったんだと思う。
彼の予想どおり、きっともう何もかも私は知っていて、それでもその愛がいくら重くても嬉しくて心地よくて、気持ちいいと感じてしまうほど。


「……囚われてる」


小声だったけど、しっかり聞こえたと思う。だって。


「いってきます」


変なタイミングでそう言って、しっとりと唇が重なる。
挨拶とはまったく思えないキスは、お礼のようでも謝罪のようでも、念押しのようでもあった。

愛してる。
それはもうそのとおりすぎて、その言葉だけでは表せない。


(囚われてるんだよ、こんなに)


もう戻ろうなんて思えない。
思ったことなんてない。
それを他の言葉にするなら、やっぱり。

――しあわせ。


「ね」


同意してほしかったんじゃない。
今まで以上にしっくりきて、吹っ切れたみたいに笑っちゃっただけ。


腕の中と、もちろん私自身の心の中にある幸せに、私はこれからも囚われるんだ。きっと――絶対、おわりともはじまりとも呼べるほど、永遠に。









【stalking voice〜その声に囚われました〜 おわり】



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