アイはキューピッド ~マッチングアプリで幸せの再開~
バッタリ
【八月三十日(火)】
「咲苗にはなんて言おうかなぁ。あれって告白だよな?」
駅から会社に向かうまでの道すがら俺は悩んでいた。あの可愛さで正面からの告白。だが、俺にはアイさんがいる。そして、恋愛関係ではないが真紀とも再会した。さらに『サク』という子の『いいね!』に応えてしまった今、これ以上恋愛対象者を増やすのはさすがに不誠実なのではないかと思ってしまう。
幸いと言うべきか、今日は外回りの業務が二件あったので、帰社した時間は定時を二十分過ぎていた。そのため、咲苗と顔を合わすことなく、加えて言えばマッチングしたサクからの連絡もない。
やはりマッチングアプリというものは女性が立場的に優位なのだろう。どちらからマッチングしても男性側から挨拶するのが基本なのかもしれない。俺の場合はその前のふたりが普通ではなかったのだ。
ということは、このままサクに連絡しなかったらマッチングは不成立。冷やかしや間違いで押される場合もあるらしいので、俺はとりあえず考えるのをやめる。
報告と残務処理を十分で終わらせた俺は帰宅準備をして席を立った。
「では、お先に失礼します」
エレベーターの中で俺の右の尻を震わせたのは真紀からの着信バイブレーションだった。少しだけ心を高揚させて俺が電話に出ると、真紀は「退職する先輩への贈り物を買うから一緒に選んで欲しいの」とお願いしてきた。
「わかった。駅前の本屋に七時ね」
会社から徒歩五分で駅に着き、待ち時間でラノベを二冊購入。そのあと雑誌コーナーで時間を潰していると、こちらに寄ってくる真紀に気が付いた。
緩やかに手を振って歩いてくる彼女に『まるでデートの待ち合わせのようだ』と妄想が過るが、目の前に立ったリアルの彼女がその妄想をかき消して現実へ引き戻す。
「買い物終わったら一緒に夕食どう?」
「いいね。この駅周辺の店はいろいろ行ってるから、何系がいいか考えといて」
おっしゃー! 真紀の誘いに悶えたくなるほどの喜びを抑え付け、友人として対応したつもりの俺は、買い物をすませてから彼女の要望を聞いて中華の店に入った。
他愛もない話をするこの時間が俺の恋心の薪となって火力を上げていく。そんな食事を一時間ほどしてから店を出た頃には、俺の想いは当時と変わらないくらいまで膨らんでしまっていた。
こうなってしまったのは少し入ったアルコールのせいだろう。
落ち着け俺! こうして楽しく食事できるだけでも幸せだろ? 過度な期待はするな!
駅へ向かい歩く俺の中ではこんな抵抗が何度もおこなわれていた。
膨らんだ想いも時間が過ぎれば戻るはず。そう思いながら平静を装って話す俺の想いを戻したのは、まったく別の要因だった。
「晴翔先輩?」
なんと、改札が見えてきたところで咲苗とバッタリでくわしてしまったのだ。悪いことをしているわけではないのだが、昨日のあの出来事があったため、真紀といるこの状況がなにか悪い印象をあたえるのではないかと冷や汗をかかせた。
まばたきするほどの長い沈黙。小説を書いている人から『言い得て妙だね』とか言ってくれないかと期待するこの言葉のとおり、俺たちの時間の間隔が狂う沈黙があった。
その沈黙を破る咲苗の表情は予想に反して笑顔だ。
「彼女……ではないですよね? マッチングした相手ですか?」
「いや、マッチングというか、高校時代の同級生なんだ」
咲苗の反応を気にしながら言葉を返すが、咲苗は表情も声色も変えずに言った。
「で、今日はどのようなご用件で?」
その視線は真紀に向けられている。
「私の会社の先輩が退職するので、贈り物を買うのに付き合ってもらったの。そのついでに夕食を。それで、あなたはどなた?」
こう返す真紀もさすがの対応だ。咲苗はともかく、俺の発する空気は異様だったはずなのだが、真紀は平常心で答えてから質問を返した。
「あたしは晴翔先輩の同僚です」
「同僚?」
「そして、彼女候補です」
それを聞いて絶句したのは俺だけではない。俺は咲苗の顔を、真紀は俺の顔を、大きく開いた目で見た。
「ちょっと待って。たしかに咲苗の気持ちはなんとなく聞いたけど、まだハッキリとは……」
そんなふうに俺がうろたえているあいだに咲苗は後ろにまとめた髪止めを取る。
さらに、ポシェットに入れていたメガネケースから取り出した赤いメガネを掛け、長めの髪を両手で大きく後ろに投げ出すようにほぐしてから顔を俺に向けた。
「はじめまして、ハルさん。この度はマッチングありがとうございます」
「サク……さん?!」
彼女は昨夜マッチングした『サク』だったのだ。
「ということで、本日のご予定がお済みでしたら、ここから代わっていただけませんか?」
真紀は咲苗に押し負けて、この日は帰宅していった。
「おいおい、どうなってるんだ? なんで咲苗が?」
真紀を見送った俺は咲苗に向きなおり、この事態の真相を問いかけた。
「まぁまぁ。ちゃんと話しますので、どっかお店に入りましょう」
慌てる俺をなだめるようにゆっくり話す咲苗に引かれ、俺たちは近くのカフェに入った。
「咲苗にはなんて言おうかなぁ。あれって告白だよな?」
駅から会社に向かうまでの道すがら俺は悩んでいた。あの可愛さで正面からの告白。だが、俺にはアイさんがいる。そして、恋愛関係ではないが真紀とも再会した。さらに『サク』という子の『いいね!』に応えてしまった今、これ以上恋愛対象者を増やすのはさすがに不誠実なのではないかと思ってしまう。
幸いと言うべきか、今日は外回りの業務が二件あったので、帰社した時間は定時を二十分過ぎていた。そのため、咲苗と顔を合わすことなく、加えて言えばマッチングしたサクからの連絡もない。
やはりマッチングアプリというものは女性が立場的に優位なのだろう。どちらからマッチングしても男性側から挨拶するのが基本なのかもしれない。俺の場合はその前のふたりが普通ではなかったのだ。
ということは、このままサクに連絡しなかったらマッチングは不成立。冷やかしや間違いで押される場合もあるらしいので、俺はとりあえず考えるのをやめる。
報告と残務処理を十分で終わらせた俺は帰宅準備をして席を立った。
「では、お先に失礼します」
エレベーターの中で俺の右の尻を震わせたのは真紀からの着信バイブレーションだった。少しだけ心を高揚させて俺が電話に出ると、真紀は「退職する先輩への贈り物を買うから一緒に選んで欲しいの」とお願いしてきた。
「わかった。駅前の本屋に七時ね」
会社から徒歩五分で駅に着き、待ち時間でラノベを二冊購入。そのあと雑誌コーナーで時間を潰していると、こちらに寄ってくる真紀に気が付いた。
緩やかに手を振って歩いてくる彼女に『まるでデートの待ち合わせのようだ』と妄想が過るが、目の前に立ったリアルの彼女がその妄想をかき消して現実へ引き戻す。
「買い物終わったら一緒に夕食どう?」
「いいね。この駅周辺の店はいろいろ行ってるから、何系がいいか考えといて」
おっしゃー! 真紀の誘いに悶えたくなるほどの喜びを抑え付け、友人として対応したつもりの俺は、買い物をすませてから彼女の要望を聞いて中華の店に入った。
他愛もない話をするこの時間が俺の恋心の薪となって火力を上げていく。そんな食事を一時間ほどしてから店を出た頃には、俺の想いは当時と変わらないくらいまで膨らんでしまっていた。
こうなってしまったのは少し入ったアルコールのせいだろう。
落ち着け俺! こうして楽しく食事できるだけでも幸せだろ? 過度な期待はするな!
駅へ向かい歩く俺の中ではこんな抵抗が何度もおこなわれていた。
膨らんだ想いも時間が過ぎれば戻るはず。そう思いながら平静を装って話す俺の想いを戻したのは、まったく別の要因だった。
「晴翔先輩?」
なんと、改札が見えてきたところで咲苗とバッタリでくわしてしまったのだ。悪いことをしているわけではないのだが、昨日のあの出来事があったため、真紀といるこの状況がなにか悪い印象をあたえるのではないかと冷や汗をかかせた。
まばたきするほどの長い沈黙。小説を書いている人から『言い得て妙だね』とか言ってくれないかと期待するこの言葉のとおり、俺たちの時間の間隔が狂う沈黙があった。
その沈黙を破る咲苗の表情は予想に反して笑顔だ。
「彼女……ではないですよね? マッチングした相手ですか?」
「いや、マッチングというか、高校時代の同級生なんだ」
咲苗の反応を気にしながら言葉を返すが、咲苗は表情も声色も変えずに言った。
「で、今日はどのようなご用件で?」
その視線は真紀に向けられている。
「私の会社の先輩が退職するので、贈り物を買うのに付き合ってもらったの。そのついでに夕食を。それで、あなたはどなた?」
こう返す真紀もさすがの対応だ。咲苗はともかく、俺の発する空気は異様だったはずなのだが、真紀は平常心で答えてから質問を返した。
「あたしは晴翔先輩の同僚です」
「同僚?」
「そして、彼女候補です」
それを聞いて絶句したのは俺だけではない。俺は咲苗の顔を、真紀は俺の顔を、大きく開いた目で見た。
「ちょっと待って。たしかに咲苗の気持ちはなんとなく聞いたけど、まだハッキリとは……」
そんなふうに俺がうろたえているあいだに咲苗は後ろにまとめた髪止めを取る。
さらに、ポシェットに入れていたメガネケースから取り出した赤いメガネを掛け、長めの髪を両手で大きく後ろに投げ出すようにほぐしてから顔を俺に向けた。
「はじめまして、ハルさん。この度はマッチングありがとうございます」
「サク……さん?!」
彼女は昨夜マッチングした『サク』だったのだ。
「ということで、本日のご予定がお済みでしたら、ここから代わっていただけませんか?」
真紀は咲苗に押し負けて、この日は帰宅していった。
「おいおい、どうなってるんだ? なんで咲苗が?」
真紀を見送った俺は咲苗に向きなおり、この事態の真相を問いかけた。
「まぁまぁ。ちゃんと話しますので、どっかお店に入りましょう」
慌てる俺をなだめるようにゆっくり話す咲苗に引かれ、俺たちは近くのカフェに入った。