アイはキューピッド ~マッチングアプリで幸せの再開~
第一歩
残暑の暑さは衰えずに猛威を振るい、八月となんら変わらない暑さが続く。ありがたいことに俺の幸運もまだまだ顕在だった。
今夜は咲苗と食事する約束をしていたので、近くのファミレスにやってきた。
「お待たせしました」
「残業おつかれ」
「週明けに仕事を残すと大変ですから」
メニューを手渡すと彼女はすぐに商品を決めて俺を見る。
「先輩は決めました?」
「決めたよ」
呼び鈴を押すとアルバイトの女の子がいそいそとやってきた。
「いつもありがとうございます」
高校生か大学生か、彼女はバイトの中で気持ちの良い接客をする子で、すでに顔なじみだ。それは咲苗も同じだったのか軽い挨拶を交わしていた。
「……以上でよろしいですか?」
確認を終えたその子は、ニコリと笑ったあとすぐには立ち去らなかった。
「あのぅ……。おふたりは同じ会社の人だったんですか? いつもは別々なのに。一緒に来たのって初めてですよね? お付き合い始めたんですか?」
突然されたこの質問に、俺は瞬時に対応できない。まさかファミレスのバイトの子がそんなことを聞いてくるとは思わず言葉が出なかった。
遠慮がちながら興味津々な目で俺たちを見る彼女のこの質問に対して、咲苗は少し照れながらではあるがまるで用意していたかのように返答した。
「八ヶ月溜めこんでいた思いを伝えたの。お付き合いまではあと三歩くらいありそうだけど、今日はその距離縮めるための第一歩なんだ!」
正直過ぎるこの言葉にバイトの子も感化され表情が輝いた。
「頑張ってください。応援してます!」
年下のバイト学生に励まされた咲苗は拳を握って力強くうなずいた。
「そんなに仲良しだったのか?」
「駅で会ったときに小話するくらいには、です」
恥ずかしさに今後の来店を控えたくなる出来事を終えたあとは先日と同様の小説談義。アイさんによって封印を解かれた俺の小説への想いが爆発し、それを気兼ねなく話せる咲苗と大いに盛り上がる。そのことによって彼女に惹かれている自分に気付くのだが、それでもアイさんへの想いと古い恋がブレーキを掛け、咲苗の想いに応えるような言動は控えて友人としてのわきまえた対応をしていた。
途切れない咲苗との会話。週末の夜がその先の大人の時間を予想させるのは、俺が押し込めた欲求なのか。不意に咲苗と手が触れて妙な空気が生じた二十一時過ぎ。真紀からの連絡が俺をリアルへ引き戻した。
『予定終わる? 遅くてもいいからそのあとどうかな?』
俺は手早く『もう切り上げるつもり』と返す。
「さて、そろそろいい時間だな」
咲苗には言えないが、このことを逃げ道として俺は今日を切り上げた。
ちょっと手が触れただけで……。もう咲苗の存在は無視できない。だからこそ意識して距離を保たないといけないのだと言い聞かせる。誠実に生きるという俺が掲げるいくつかのポリシーのひとつを守るため、軽々に手を出すなどあってはならない。そのポリシーを強く支えているのがアイさんと真紀の存在だ。
手を振り、上りと下りのホームで別れた俺たち。電車に乗ったところで『今出たよ』と真紀にメッセージを送ると『駅の改札で待ってるね』とすぐに返信されてきた。
しばらく電車に揺られながら俺は考えていた。さなえの言葉を聞いて『サク』とマッチングしてしまったことはまずかったのではないかと。
複数の女性とやり取りしたうえで、そこからひとりを選ぶというおこがましさ。その罪悪感にも似た感情に俺は尻込みし、咲苗を意識しまいと薄いながらも幕を張っている。なのに咲苗はその幕を苦も無く掻いくぐってくるのだ。
しかし、俺の中でそれに対する反論もなされた。咲苗が魅力的だからこその悩みなら、それはまぎれもなく彼女候補だと。
マッチングしてしまったとはいえ、咲苗を彼女候補にするべきかと頭の中で論争していると、再びメッセージの通知があった。真紀からかと思ってスマホを手に取ると、それはアイさんからだった。
『楽しい週末を送っているかい?』
楽しいけど……。さきほど考えたとおり罪悪感を覚えてしまうのだ。
付き合っているわけじゃないのだから、誰と食事に行こうと問題ない。ただ、好意の矢印の向きが微妙だし、真紀と咲苗はアイさんの存在を知らないことも気になる点だった。
アイさんは『モテ期』と言ったのだが、この現実の中にあっても信じがたいことだ。信じがたい現実をいささか持て余しているというのが俺の現状である。
そんなふうに考えながらもアイさんにメッセージを返した。
『これから級友と会うんだ。先日、会社の人のプレゼントを買うのに付き合ったお礼で御馳走してくれるって』
『級友とは真紀だね。隠さずに真紀と言えばいいさ。君は気を使い過ぎる。それともわたしに対する罪悪感からかな?』
図星を突かれて返す文面もない。アイさんは真紀の存在を知っている。隠すような言い方をしなくてもよいのだけど、やはり他の女性の名前を出すのはためらわれる。
『予定どおり週末には返ってくるの?』と送るが、そのことに返信はなかった。
今夜は咲苗と食事する約束をしていたので、近くのファミレスにやってきた。
「お待たせしました」
「残業おつかれ」
「週明けに仕事を残すと大変ですから」
メニューを手渡すと彼女はすぐに商品を決めて俺を見る。
「先輩は決めました?」
「決めたよ」
呼び鈴を押すとアルバイトの女の子がいそいそとやってきた。
「いつもありがとうございます」
高校生か大学生か、彼女はバイトの中で気持ちの良い接客をする子で、すでに顔なじみだ。それは咲苗も同じだったのか軽い挨拶を交わしていた。
「……以上でよろしいですか?」
確認を終えたその子は、ニコリと笑ったあとすぐには立ち去らなかった。
「あのぅ……。おふたりは同じ会社の人だったんですか? いつもは別々なのに。一緒に来たのって初めてですよね? お付き合い始めたんですか?」
突然されたこの質問に、俺は瞬時に対応できない。まさかファミレスのバイトの子がそんなことを聞いてくるとは思わず言葉が出なかった。
遠慮がちながら興味津々な目で俺たちを見る彼女のこの質問に対して、咲苗は少し照れながらではあるがまるで用意していたかのように返答した。
「八ヶ月溜めこんでいた思いを伝えたの。お付き合いまではあと三歩くらいありそうだけど、今日はその距離縮めるための第一歩なんだ!」
正直過ぎるこの言葉にバイトの子も感化され表情が輝いた。
「頑張ってください。応援してます!」
年下のバイト学生に励まされた咲苗は拳を握って力強くうなずいた。
「そんなに仲良しだったのか?」
「駅で会ったときに小話するくらいには、です」
恥ずかしさに今後の来店を控えたくなる出来事を終えたあとは先日と同様の小説談義。アイさんによって封印を解かれた俺の小説への想いが爆発し、それを気兼ねなく話せる咲苗と大いに盛り上がる。そのことによって彼女に惹かれている自分に気付くのだが、それでもアイさんへの想いと古い恋がブレーキを掛け、咲苗の想いに応えるような言動は控えて友人としてのわきまえた対応をしていた。
途切れない咲苗との会話。週末の夜がその先の大人の時間を予想させるのは、俺が押し込めた欲求なのか。不意に咲苗と手が触れて妙な空気が生じた二十一時過ぎ。真紀からの連絡が俺をリアルへ引き戻した。
『予定終わる? 遅くてもいいからそのあとどうかな?』
俺は手早く『もう切り上げるつもり』と返す。
「さて、そろそろいい時間だな」
咲苗には言えないが、このことを逃げ道として俺は今日を切り上げた。
ちょっと手が触れただけで……。もう咲苗の存在は無視できない。だからこそ意識して距離を保たないといけないのだと言い聞かせる。誠実に生きるという俺が掲げるいくつかのポリシーのひとつを守るため、軽々に手を出すなどあってはならない。そのポリシーを強く支えているのがアイさんと真紀の存在だ。
手を振り、上りと下りのホームで別れた俺たち。電車に乗ったところで『今出たよ』と真紀にメッセージを送ると『駅の改札で待ってるね』とすぐに返信されてきた。
しばらく電車に揺られながら俺は考えていた。さなえの言葉を聞いて『サク』とマッチングしてしまったことはまずかったのではないかと。
複数の女性とやり取りしたうえで、そこからひとりを選ぶというおこがましさ。その罪悪感にも似た感情に俺は尻込みし、咲苗を意識しまいと薄いながらも幕を張っている。なのに咲苗はその幕を苦も無く掻いくぐってくるのだ。
しかし、俺の中でそれに対する反論もなされた。咲苗が魅力的だからこその悩みなら、それはまぎれもなく彼女候補だと。
マッチングしてしまったとはいえ、咲苗を彼女候補にするべきかと頭の中で論争していると、再びメッセージの通知があった。真紀からかと思ってスマホを手に取ると、それはアイさんからだった。
『楽しい週末を送っているかい?』
楽しいけど……。さきほど考えたとおり罪悪感を覚えてしまうのだ。
付き合っているわけじゃないのだから、誰と食事に行こうと問題ない。ただ、好意の矢印の向きが微妙だし、真紀と咲苗はアイさんの存在を知らないことも気になる点だった。
アイさんは『モテ期』と言ったのだが、この現実の中にあっても信じがたいことだ。信じがたい現実をいささか持て余しているというのが俺の現状である。
そんなふうに考えながらもアイさんにメッセージを返した。
『これから級友と会うんだ。先日、会社の人のプレゼントを買うのに付き合ったお礼で御馳走してくれるって』
『級友とは真紀だね。隠さずに真紀と言えばいいさ。君は気を使い過ぎる。それともわたしに対する罪悪感からかな?』
図星を突かれて返す文面もない。アイさんは真紀の存在を知っている。隠すような言い方をしなくてもよいのだけど、やはり他の女性の名前を出すのはためらわれる。
『予定どおり週末には返ってくるの?』と送るが、そのことに返信はなかった。