臆病な片思い
彼の視線が気になって仕方ない。
お願いだから、黙ったままでいるのはやめて。緊張して履き慣れないヒールに転ぶから。

「いや、綺麗だと思って……」

形のいい高い鼻の頭を人差し指でかきながら彼が言う。
その仕草が照れているような感じで、胸がざわざわする。

まさか私に動揺?

こちらを見る彼の黒い瞳が、会社にいる時とは違う熱を持っている気がする。今夜は秘書ではなく、女性として見てくれているのかも。ざわざわしていた胸が、ドクンと大きく脈打った。甘い期待に頬が緩みそうで困る。

勘違いしちゃいけない。
綺麗だと言ったのは社交辞令で……。

そう思うけど、今夜の、ドレスアップした普段と違う自分と、タキシードを着た王子様のような彼に甘い時間の始まりを期待してしまう。

「さあ、行こう」

彼が骨張った手で私の手をしっかりと握る。
温かくて、何もかもを包み込んでくれるような大きな手は安心感がある。彼にこうしてエスコートされるなんて夢のよう。

今夜はずっと、この手を握っていたい。
そんな事を思うのは迷惑ですか?

涼し気な表情を浮かべる彼の横顔を見つめながら思う。

私なんて、きっと、彼の視界には入っていないのはわかっている。だって彼はいつも素敵で、社長で、仕事も出来て、両手の指の数以上に恋人がいる。

でも、社内一の堅物だと言われている地味な私だって、こんな素敵なシチュエーションにいきなり遭遇すれば、つい、夢を見てしまう。彼のお姫様になりたいって。
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