臆病な片思い
彼のやりたい事って……。

――君は今の仕事が天職だと思うか?

いつだったか、そんな事を聞かれた。

――わかりません。考えた事ありませんから。社長は天職だと思っていないんですか?

――正直、社長なんて向いてない気がする。氷室の家に生まれた俺には他に選択肢がないから、こんな事、大声で言えんがな。

――選択肢があったらどうしますか?

――絵描きになりたい。

――絵描き?

――あぁ。日本を出て世界中を周って、絵を描きながら生きていけたら……なんて、な。

照れたように口にした彼が印象的だった。

「まさか!」

彼は自分の夢を叶えにいったんだ。
きっと、もう日本にいない。

スマホも通じない……。

もしかしたらもう二度と彼に会えないのかも……。

じわっと涙が滲んだ。瞼の奥が熱い。
眼鏡を外して拭うけど、止まらない。

全部の内臓が雑巾のようにきつく絞られるみたいで痛かった。

マンションの外の冷たいアスファルトの歩道に膝から崩れ落ちた。ザラっとした地面に手をつき、声を上げて泣いた。泣きながら、自分の中の強い気持ちに気づく。

この一年、彼のそばにいられて幸せだった。
そう思うのは彼に恋をしていたからだ。

いなくなって初めて彼の存在がどんなに大きかったかわかる。

臆病だったばかりに、自分の気持ちをちゃんと見られなかった。
この胸の痛みは自分の気持ちを誤魔化した罰だ。

彼に会いたい。

会いたくて堪らない。
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