白い女〜その女は白いワンピースを揺らしてやってくる〜
白い女〜その女は白いワンピースを揺らしてやってくる〜
ーーーーピンポーン。
つい今しがた、引っ越し業者は、全ての段ボールを家に運び終わり、トラックの荷台に、養生マットや空いた段ボールを突っ込んで帰ったばかりだった。
「誰かしら?」
インターホンの音に、手元の作業を止めて、扉を開ければ、真っ白のワンピースを見に纏った女性が、長い黒髪を後ろで一つに束ね、切長の瞳を細めている。
「初めまして、向かいに住んでいる、杉原です」
「あっ、あの、今日から向かいに越してきました、小林です」
私は、小さく頭を下げた。
「お忙しいかと思ったのだけど、つい気になって、ご挨拶かねて、訪ねさせて頂きました」
「あ、いえ。引越し荷物を捌くのにバタバタしていて、本来なら、こちらから、ご挨拶に伺うところを、すみません」
私は、散乱している段ボールの中から、引越しのご挨拶用に包んでもらった洗剤を手渡した。
「あら、ご丁寧にありがとう。小林さん、下のお名前は?」
「私?ですか?」
唐突に聞かれた質問に、私は思わず聞き返していた。
「えぇ、教えてくださる?」
「えっと、里奈、小林里奈です」
「私は、美穂子。お子さんは、男の子かしら?」
「え?どうしてですか?」
「何となくよ、当たりかしら?お名前は?学年は?」
見れば美穂子の視線は、リビングに乱雑に積み上がっている段ボールの上に無造作に置かれていた、一人息子の悠聖のスニーカーに向けられていた。
「あ……はい。名前は、悠聖で、今年小学二年生です。今、二階で片付けをしてるんですけど……」
「奇遇ね、うちの息子も二年生なのよ。名前は、春夏秋冬の春に、人で、春人。いま病気で入院中なのだけどね。ちなみにご主人は?」
「……主人は、いま車でお昼ご飯を買いに行ってまして……」
「ふふっ……そうじゃなくて。お名前とお勤め先教えてくださる?この辺りは田舎だから、何かあったときに、把握しておくと、お互い助かると思うの」
思わず断ろうとしたが、美穂子の見えない威圧感のようなモノを感じて、私は、渋々、会社名と夫の名前を口に出した。
「あ……◯△銀行で、名前は、小林悠作です」
「ありがとう。何となく、里奈さんとは、仲良くなれそうだわ」
美穂子は、スマホを取り出し、私達家族の個人情報を入力すると、にこりと微笑んだ。
私は、初めて会ったお向かいさんに、根掘り葉掘り聞かれることに、違和感と戸惑いを感じたが、転勤で越してきたとはいえ、数年はお付き合いすることになる。私は、仕方なく聞かれたことだけを返答した。美穂子は、満足したのか、私と携帯番号とラインの交換を済ませると、白いワンピースを揺らして、向かいの家へと帰っていった。
借り上げの戸建住宅に住み始めてから3ヶ月経った頃だった。
「ねぇ、ママ、お向かいさんのお家に遊びに行ってもいい?」
「え?美穂子さんの家?」
悠聖が小学校から帰宅後、そんな事を言い出した。
「悠聖、美穂子さんとお話ししたことなんて、ほとんどないはずでしょ?」
「え?毎日話してるよ」
「悠聖、どういうことなの?」
私は、悠聖の言葉に耳を疑った。
私自身は、この3ヶ月、スーパーなどへ行く際、庭の手入れをしている美穂子と出会えば、挨拶する程度の間柄だ。個人的な話をすることもなければ、連絡を取り合うこともなかった。
「ママは、知らないと思うけどね、学校の校門のところに、美穂子おばさん、ボランティアで子供達の見守りに来てくれてるんだ。だから毎朝、おしゃべりしてるんだよ」
何故だか、ドクドク脈打つような、嫌な動悸がしてくる。
ーーーーピンポーン
ふいに、インターホンが鳴り響く。
「誰だろう?」
「あ、悠聖待ちなさいっ」
止める間もなく、悠聖が玄関扉を開ければ、白いワンピースに身を包んだ美穂子が、満面の笑みで立っていた。
「あ、美穂子おばさんっ」
悠聖が、美穂子に抱きつくと、前歯が抜けたばかりの口元を大きく開けて、にこりと笑った。
「こんにちは、里奈さん。悠聖君が、今日、うちに遊びに来たいって言うから預かるわね。17時には、また連れてくるわ」
美穂子は、悠聖の柔らかい黒髪をそっと撫でながら、私に向かって微笑む。
「いや、でも、悪いわ……お子さんもご病気だと伺ってますし、ご主人様の夕飯の支度もあるでしょうし……」
「もう、遠慮しないでよ、お向かいさんなんだし」
美穂子の白のワンピースが風にふわりと揺れる。
「ごめんなさい。やっぱり……悠聖が、ご迷惑おかけしてもいけないから……」
美穂子の白いワンピースと、美穂子が、笑うたびに見える白い歯に、段々、心が騒がしくなって、心の中は、まるで黒い雨が降り注いだように、転々と黒い水玉が染み込んでいく。
そして、小さな疑惑は、細胞が増殖するように、ジワジワと、より大きな滲へと変化する。そうして、心は、より芯の奥深いところまで、黒い感情で色づいていく。
「えーっ、美穂子おばさんの家行きたいよ!ゲームもあるんだって、ねーっ?」
悠聖が、私のセーターの袖を引っ張りながら口を尖らせた。
「悠聖、いいかげんにしなさい」
「やだやだっ!行きたいもん」
「里奈さん、悠聖君が可哀想よ。本当に、家に来ることは、気になさらないで。悠聖君の好きだって言ってたチーズケーキも、もう買っちゃったし」
「わぁい、美穂子おばさん大好きっ」
「さ、悠聖くん、いきましょ」
美穂子が、悠聖に手を差し出すと、その小さな掌が、美穂子の掌に包まれる。
「えっ、あの……」
「じゃあ、里奈さん、悠聖君、お預かりしますね」
美穂子は、私の言葉を遮りながら、切長の瞳を緩やかに細めると、悠聖の手を引いて、玄関扉をパタリと閉めた。
ーーーーリビングの時計を見れば、16時58分だ。
私は、ソワソワとしながら、悠聖の帰宅を待っていた。都会育ちの私から見れば、少し強引で、プライベートに遠慮なく踏み込んでくる美穂子のような人間は、はっきり言って苦手だ。でも此処のような田舎では、そういう密な付き合い方とも言える、ご近所付き合いは、当たり前なのかもしれない。
17時ぴったりにインターホンが鳴り、私は慌てて扉を開けて、絶句した。
「ママー楽しかったー」
満面の笑みの息子は、この家を出た時と違う。
悠聖に着せていた洋服は、青の車がプリントされた、トレーナーとベージュのズボンの組み合わせから、真っ白のスウェットの上下になっている。
「時間ギリギリまでごめんなさいね」
白いスウェット姿の悠聖の手を引きながら、白いワンピース姿の美穂子が、ホワイトニングされた真っ白な歯で笑う。
「この服……」
「あぁ、気にしないで、随分前に買ったのだけど、着る機会がなくて、春人に着せてみたらピッタリ、あ、間違えた、悠聖君に着せたらピッタリだったから、貰って」
「いや、悪いので洗ってお返しします」
美穂子は、長い黒髪を耳にかけながら、首を傾けた。
「遠慮しないで、お向かいさんなんだし。それに何となく、悠聖くんは、春人に似てるのよ」
「じゃあ、また悠聖くん、また遊びましょうね」
「うん、美穂子さん、ありがとう!」
美穂子は、白いパンプスを鳴らしながら、鼻歌混じりに家へと戻っていった。閉められた玄関扉を眺めながら、私の心には靄がかかる。
「ママ?怖い顔してどしたの?」
「悠聖、美穂子さんのこと、美穂子おばさんって呼んでたでしょ?どうして、呼び方変えたの?」
「あ、美穂子さんから、美穂子おばさんより、美穂子さんって呼んだ方が、仲良しみたいでしょ?って言われて、僕もそうだなって思って」
悠聖は、はにかむように笑った。
「そうなのね……」
思わず、顔が引き攣りそうになる。
「ダメなの?」
「あ、ダメじゃないわよ。楽しかったみたいで良かったわね。悠聖、お風呂入るから、それ、脱いで」
ーーーー明日は、ゴミの日だ。
私は、悠聖が着せられていた、真っ白のスウェットの上下を脱がせると、悠聖が、お風呂に入っている間に、それをゴミ袋に入れて捨てた。
「ねぇ、あなた、お向かいさんの事なのだけれど……」
大手銀行に勤める、悠作の帰りはいつも遅い。
私は、シチューをよそって、悠作の前に置くと、向かいに腰掛けた。
「何?お向かいさんがどうかした?」
「それが、悠聖に対しての行動が、ちょっと異常なのよ、今日だって……」
悠作は、私の話を黙って聞いていたが、首を捻っている。
「里奈が、気にしすぎなんじゃないか?学校ボランティアのついでに悠聖に校門で話しかけたり、遊びに行かせてもらった際に、不要な洋服を、くれたりしてるだけなんだろ?」
「でも、一度、悠聖のことを、春人って呼んだのよ?他人の子を、我が子の名前と呼び間違えるなんて……」
「ま、里奈は、元々神経質な所があるからな。此処は、田舎だし、尚更かなぁ。てゆうか、そのお向かいさんの名前は?よく考えたら、お会いした事もないし、名前も聞いてなかったなと思ってさ」
悠作は、空になった器にスプーンを置くと、ご馳走様でしたと手を合わせた。そして、ポケットからスマホを取り出し、いつものように携帯ゲームを始める。
「杉原美穂子さんっていうの。何故だか知らないけど、毎日、白いワンピース着てるわ」
私の言葉に、悠作のスマホを弄る手が、ピタリと止まった。
「あれ?美穂子さん、俺達のお向かいに住んでるのか?」
「え?悠作、知ってるの?」
「あぁ、俺が転勤してきて、1週間くらいかな?ちょうど、お昼の時間帯のロビーの受け付けを募集しててさ、偶然、美穂子さんが、応募にきてさ、今、一緒に働いてるよ」
悠作が、ほんと偶然だなぁと笑っている。
とても笑う気になれないのは私だけだろうか?
此処に越してきてすぐに、美穂子は、悠作の名前も、勤め先も聞いてきた。そして、悠聖に毎日のように朝話しかけて、悠聖が、遊びに行きたいと思うほどに、悠聖を手懐けていっているようにさえ感じる。更には、悠作が異動してきて、すぐに同じ職場で働き始めるなんて、ただの偶然とは、到底思えない。
「偶然……なのかな?」
「偶然に決まってるだろ。あ、そういや、単身赴任中とかで、お会いした事ないんだが、美穂子さんの旦那さんに、俺の顔が、何となく似てるらしいよ」
「え?何それ」
悠作の言葉に、あからさまに、美穂子に対して嫌悪感が湧き出てくる。他人の夫に自分の夫が、似ている等と言う美穂子の神経が理解できない。
「おいおい、里奈、そんなことで妬くなよ」
悠作が、はははっと茶化して笑う。
「違うっ、そんなんじゃないわよ!ねぇ、なんか美穂子さん、変じゃない?美穂子さんと私は、全然感覚違うなって。大体、他人の旦那さんに、自分の旦那さんと、何となく似てるなんて、そんな事言うのおかしいわ……」
「里奈、慣れない生活で神経質になるのは分かるけどさ。家のことも、悠聖のことも本当によくやってくれてるから、あとは、ご近所付き合いだけ適当にやってくれたら、俺はそれでいいからさ」
私は、これ以上何を言っても、聞く耳を持たない悠作を前にして、小さく頷くしかなかった。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。窓から見える満月が、真っ白に輝いて見えて、美穂子のいつも着ているワンピースと重なった。
私は、込み上げてきそうになる、黒くドロッとした感情を飲み込むようにして、固く瞳を閉じた。
ーーーーピンポーン
翌朝、インターホンが鳴り、私は覗き穴からみて、小さく溜息を吐き出してから、玄関扉を開けた。そこには、いつものように、白いワンピースを纏った、美穂子が立っている。
「何かしら……?」
いつもの美穂子に見えるが、その空気は、どこかいつもと違うように感じる。ジリジリとコチラを追い詰めていくような、いいようのしれない圧迫感を感じながらも、私は精一杯微笑んだ。
「里奈さん、どうして?」
「え?」
彼女は、くすりと笑うと、私に紙袋を渡した。中を覗き込んで、思わず私は、その紙袋をバシャッと玄関先に落とす。
「サイズピッタリだったでしょ?」
散らばった白いスウェットを拾い上げると、美穂子は、私に紙袋を再び手渡した。
鳥肌と共に、足がガクガクと小刻みに震える。
「ゴミ……見たの……?」
「えぇ、里奈さん越してきて間がないから、ゴミの分別ができているか、何となく、気になっちゃって。このスウェットは、間違えて捨てちゃったのよね?」
美穂子の顔は、笑っているが、目は笑ってない。
「どうして……こんな事」
「え?お向かいさんじゃない。遠慮しないでよ」
私は、ぎゅっと拳を握りしめた。
「あなた、異常だわっ。人のこと根掘り葉掘り聞いて、子供や夫に近づいて、ゴミまで漁って!どういうつもりなのっ!」
「あはは。そんなに怒らないでよ。あなた達家族が、心配で、何となく気になるのよ」
「心配して頂かなくて結構よ!大体、何となくで、こんな事するの、どうかしてるわっ!」
「あら、里奈さんこそ。はっきりとした理由もないのに、何となく、私を攻撃しないでいただきたいわ。私は、ただ、お向かいさんとして仲良くしたいだけなのに」
「もう、私達に関わらないで!これも要りません!」
私は、紙袋を、美穂子に押し付けると、玄関扉を乱暴に閉めて、すぐに鍵をかけた。覗き穴から見ていると、美穂子は、暫く玄関扉の前に立っていたが、背中を向けると、美穂子は、白いワンピースを揺らしながら、向かいの家へ向かって響いていく。
ーーーー異常だ。
他人のゴミを漁るなんて、まともじゃない。あの異常な行動、美穂子の夫も子供も、何も思わないのだろうか?
私は、座り込んでいた玄関先から立ち上がると、パソコンの電源を入れた。
『東山街沼田村 杉原美穂子』
で、検索をかけて見るが、東山街 沼田村の情報しか出てこない。
『東山街 沼田村 杉原春人』で、再び検索をかける。
ーーーー私は、口元を覆った。
検索画面結果には、
『東山街の沼田村で起こった悲惨な事件……礼和10年◯月△日……トラック運転手の……飲酒運転による交通事故で、横断歩道を渡っていた……当時、8歳の杉原春人君と父親の杉原……が……により、死亡………』
その時、パソコン横に出して置いていた、スマホが震えて、ラインのメッセージが浮かぶ。
『里奈さん、うちの主人と春人の事調べてるの?』
そのメッセージを見た途端に、背筋が、ピンと張り、座っていても、足がカタカタと震えて力が入らない。
『何のことでしょうか』
短く、指先で返答する。
返答したと同時に、今度は鳴り響いた、スマホの着信音に体がビクンと震えた。
液晶に浮かんでいる名前は『杉原美穂子』。
私は、震える指先でタップした。
「もしもし……」
『もしもし。こんにちは、美穂子ですけど』
「何でしょうか?」
『聞きたいことがあれば、直接聞いてくれればいいのに。お向かいさん、なんだから』
「……お子さん…と旦那さん……」
『そうよ、今は居ないの。でも、いつも私と一緒にいるのよ』
「……そう、なんですか……」
狂ってる。
今は、居ないのではなく、もうこの世に居ないのに。
『里奈さんと私って、何となく似てるわ』
「何言ってるの?……全然似てないわ」
『何となく似てるわよ、私もこっそり調べ物するもの。あなた達家族について、今のあなたみたいに、こっそりとね』
「何それ……」
『ふふふ……あともう一つ、調べものする時は、背後には気をつけなきゃねってこと』
ゾッとして振り返れば、キッチンの小窓から、美穂子が、コチラを眺めながら、口元に人差し指を当て、白い歯を見せた。
※※※
──二ヶ月後。
「里奈ー、この段ボール、寝室に持っていくなー?」
「うん、運んだら中開けて、あなたのスーツをクローゼットにかけていってもらえない?」
「了解」
悠作の声に振り返りながら、私は『食器類』と記載された段ボール箱を開封していく。
「ママー、僕の新しいお部屋って……窓際のお部屋で合ってる?」
「ええ、窓際よ」
悠聖がガラッと窓を開けた音がした。
「わぁ、ベランダいいね。あ!お隣さんのベランダも丸見えだ」
私はやれやれとため息をつくと悠聖の部屋へ向かう。
「悠聖っ、お隣さんのベランダなんて覗いちゃだめよ」
「わっ、びっくりした。ママ、驚かさないでよー」
悠聖が口を尖らせながら目の前の段ボールを指差した。
「これ片付けていったらいいの?」
「えぇ。中に教科書とお洋服の入ってるから開けて出してくれる?」
「はぁい」
「じゃあ、ママは台所で食器片付けてるからね」
私は荷解きを始めた悠聖小さな背中を見ながら、心の底からほっとしていた。
──美穂子がキッチンの小窓からこちらを覗き見ていた日。
私は仕事から戻ってきた悠作に、美穂子の家族は亡くなっていること、ゴミを漁られたこと、さらにキッチンの小窓から覗き見されたことを涙ながらに訴えたのだ。
悠作は戸惑いながらも会社に異動届を提出し、転勤先が決まると私達はあの家をすぐに引き払い新たな街へと引っ越した。
悠聖の度重なる転校は可哀想だったが、これ以上、美穂子に監視されているような、美穂子の目が常に付き纏う、あの家に住みたくなかった。
そして私は何よりも、愛する家族を守るためにあの異常ともいえる美穂子から遠く離れたかった。
「……アパートも悪くないわね。賃貸だと……ご近所付き合いも適当で良さそうだし」
私は新聞に包まれた食器を取り出しながら、新生活へと思いを馳せる。
引っ越しの際、私はトラウマから一戸建てではなくて、アパートの一室を借り上げてほしいと悠作に頼んだのだ。
前の家よりも平米は狭いが、家族が安住できるならそれでいい。
今日から家族三人、また一から始めよう。新しい場所……そして新しい家で。
「さてと、次は……この段ボールにしよっか。あれ?」
手にかけた段ボールには側面に何も書かれていない。後回しにしようと抱えようとしたが重たくてピクリともしない。
(重たい……悠作さんのよね?)
「しょうがない、これから開けるか」
私はベリベリとガムテープを剥がし段ボールを開く。そして中身を見た私は思わず微笑んだ。
「あ、懐かしい」
そこには大量のアルバムが入っている。
大学時代、写真サークルで知り合った私達は互いの共通の趣味が写真だったことから意気投合して交際が始まった。
「ふふっ……これは大学の秋の展覧会のときね」
そこには顔を寄せ合い、幸せそうに笑う悠作と私が映っている。
「この時は、沢山の人が見に来てくれて……いまでもいい思い出だわ……」
そして私はアルバムをパラパラと捲ると、被写体である私達の後ろに、写り込んでいる小さな人影に息を呑んだ。
(……嘘っ……な、んで……あの人が……)
──ピンポーン
私は突然鳴ったインターホンの音に体が勝手に跳ね上がった。
「……里奈ー、俺ちょっと手が離せないんだ、出てくれるか?」
悠作の声に私は深呼吸してから返事をする。
「あ……えぇ、分かったわ」
そして私はアルバムから手を話すと、動悸のする胸を掌でおさえながら玄関扉をゆっくりと開けた。
その扉を開けた瞬間に、私の心はあっという間に恐怖に支配され、骨の髄まで黒く染まり呼吸は浅くなる。
「……こんにちは。今日隣に越してきた、杉原美穂子です」
「そ……そんなっ……」
美穂子は微笑みながら、いつも一つに束ねている長い黒髪の結び目に指をかけて、サラリと解いた。綺麗な黒髪が風に吹かれ美穂子が妖艶に笑う。
「何となく……また仲良くできそうで嬉しいわ」
私に向かって美穂子がいつもの真っ白な歯を見せる。
すぐに私の中に、黒い感情が骨の奥底からミシミシと音を立てて湧き出してくる。ドクドクと鼓動がはやくなり、目の前の美穂子の白いワンピースは目には見えない何かによって、白から黒へと染まっていく。
欲望のままに。絶望の色へと。
理由は、曖昧なままに染め上げられていく。
「はい、これ。つまらないものですが」
美穂子から強引に手渡された、紙袋の中からは、捨てたはずの真っ白な子供用のスウェットが見える。
「ふふっ……里奈さん……末永く宜しくね」
──何故だか、真っ白なそのスウェットが真っ赤に染まるような予感がした。