恋の味ってどんなの?


 藍里は実は赤ん坊の頃から子役モデルとして活動していた。最初は親のエゴであったが、子供の頃から芸能界という中で過ごすのは彼女にとっては当たり前で日常的であってずっとその中で生きる者だと子供ながらに思っていた。

 アマチュア演劇で活動する父とその彼と同じサークルの後輩であった、さくらも実は演劇経験者で結婚と同時に役者を諦めて、娘である藍里に全てを託した。そのためマネージャー業も徹していた。

 藍里はとある劇団で舞台女優として活躍するさくらの映像を見せてもらった時に
「私も女優さんになりたい」
 と言った。裏役に徹して化粧っ気もなく地味になった母親が自分の知らない時に華々しい美しい見たこともない表情や声で活躍する姿は別人のように見えたが、すごく憧れでもあった。

 子供だからと多くの大人から可愛い可愛いとチヤホヤされつつも、子役として活躍して成功するのはほんの一握りで、藍里のこれといった大きな仕事はあまりなく、地元のスーパーの広告だったり、ドラマのエキストラや他の有名な子役を引き立てる生徒役だったり、バックダンサーだったり。
 唯一、全国区で流れた一つのCMがあるが半年後にその会社が倒産してしまい、終わってしまった。
 そして藍里が小学生に上がった頃に同じくして所属事務所が潰れて藍里の芸能人生はあっという間に終わりを迎えるのであった。

 それ以来は普通の小学生として過ごしていた。彼女が子役だったことを知る人はほんの僅かで、演劇の時間であっても藍里は目立とうともしなかった。

 しかし夢は心の中に残していた。だがじしんの女優の夢も、娘の夢も手放したさくらの前では言ってはいけないと子供ながら思っていた藍里は黙っていた。

「僕のね夢は店を出すことなんや」
 過去のことを思い出していた藍里は時雨のその一言で一気に現実に戻った。

「料理屋さん?」
「そう。……実家で母さんが居酒屋やっててそれを手伝ってるうちに料理が楽しいって思えてさ」
「すごく美味しいもん、時雨くんの料理」
「ありがとう。母ちゃんや一緒に働いてたおばさんのを見よう見まねでやっとったんやけどさ、もっと上手くなりたいって思ったから前の料亭に住み込みで10年働いてたん」
「10年も!」
「なんだかんだでね……お金貯まったら、と思ってるうちに居心地良すぎて。店の雰囲気も大将やみんなといるのが楽しいし勉強もなったん」

 ニコニコと語る時雨。こんなに愛嬌があったら多くの人に可愛がられるのも目に見える。そんなふうに藍里は思ってた。

「仕事以外でも料理はしてたの?」
「うんうん、住み込みでもあったけどさ。今日は誰が賄い作る? 朝ごはん作る? って。実家の時も忙しい母ちゃんと一緒に家事や料理もしとったんや」
「だから家事もテキパキできる……」
「下に弟おってな。2人で一緒にな」
「男の人なのに家事とか料理するのね」

 と、藍里が言うと時雨はン? という顔をした。

「んー、家事料理は男女も関係ないよ」
 再びニコッと笑う時雨。

「好きな人がやればいい。僕は好きだった」
「でも好きじゃない人は?」
「んー、それはみんなで協力すればいい。それでもダメならそういうサービスに頼るのもよし」
「お金かかるよ……何回か頼まなきゃいけないことがあってさ、ママが倒れた時」
「ほぉ」

 藍里はその時のことを思い出した。まだ離婚する前だった頃か。さくらがメニエールで倒れてしまったのだ。父親は仕事が忙しく、家事は全くしない、近くに彼の両親がいたが当時両方とも体調が悪くその時ばかり助けられないと言われ、藍里もまったく家事も料理ができない小学生であった。
 さくらはしかたなくこっそりハウスキーパーを雇うがバレて怒られていた。

「こんな高い金使うな!」
 床に落ちていたチラシを見たら確かに数字がいくつも並んでいた、と覚えている。

 父親は母親が倒れてどうする、倒れてでも最低限のことをしろと言っていた。
 実の所、さくらが結婚と同時に演劇を辞めたのも家事に専念して欲しいからとのことだった。だが父親の仕事があまり軌道に乗らなかったからさくらも仕事をしようとしたが社会人を経験せずに結婚したため上手くいかず、藍里に託したのもあるのだ。

 全てをさくらに押し付け家庭を顧みない父親、さくらに家事の不出来をなじる大きな声、さくらの啜り泣く声、そのストレスを藍里にぶつけるかのようにヒステリックに叫ぶ声……。

「藍里ちゃん? どしたの」
「……何でもない」
 また現実に引き戻された藍里。忘れたと思っていたがやはりふとした時に思い出す。

「でも誰もやれなかったらお金出してでも誰かに頼ってもいいんだよ。僕はそう思う。てか僕ってそうじゃない?」
 そういえば、と。時雨くんはさくらにこの家に住まわせてもらって家事料理全部やっているのだ。藍里は笑った。

「でしょ。でもお金だけじゃないよ。2人が楽しそうにニコニコとしてるのを近くで見られる、それも活力になってる。ありがとう」

 ありがとう、家事や料理を全部やってもらい、自分が反対に率先して言わなくてはいけないのに……と藍里はふと思う。

 時雨が来てからさくらは笑うようになった。ヒステリックに叫ぶことはなかった。

 そして自分も笑うようになった……と。

「ありがとう、時雨くん」
「どういたしまして」


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