ひねくれ御曹司は気高き蝶を慈しみたい
「この街に来たばかりの頃、いつもこのケヤキを見上げていたわ」
粧子が両親と死別したのは十歳。そう容易く現実を受け入れることは出来なかった。
両親が恋しくなった時はケヤキの木を見上げるようにして涙を堪えていた。
この家を残したいと欲していたのは、大叔母ではなく粧子の方だったのだ。粧子にとってこの古民家は第二の故郷とも呼べる存在だった。
けれど今、粧子は新たな一歩を踏み出そうとしていている。
ありがとう。そして、さようなら……。
掘り出されたケヤキの木はクレーンで吊り上げられ、大型のトラックに乗せられていった。
ケヤキの木が掘り返された後には真新しい土の匂いが漂う。
「この土地と屋敷を婆さんには与えたのは先代の祖父さんだ」
「そうなの?」
「ああ、調べた」
大叔母からはそんなことは一言も聞いていなかった。だから、この家を移りたくなかったのかとようやく合点がいく。
「祖父さんも本当はこの家に……婆さんと一緒になりたかったんだろうな」
ケヤキの移植を終えた次の日、解体業者が大叔母の家にやってきた。大型の重機を二台使い、轟音とともに壁や柱を薙ぎ倒していく。
思い出が詰まった大叔母の古民家は、次の日には解体が終わり跡形もなく消えてなくなった。
しかし、建物は無くなってもそこに住み続けた人の想いは残り続けている。
灯至は解体が済んだばかりの更地をぼんやりと眺める粧子に声を掛けた。
「帰るぞ、粧子」
「……はい」
決して悟られてはいけない……。
粧子には身体の傷跡以外にもまだ灯至に隠していることがある。