猫と髭と夏の雨と

「あとで連絡する、話は木崎から聞いて。またね、お髭さん」

当たり前の口振りで撮影に向かい始めた背中を、隠すように男性が素早く立ちはだかる。

「お疲れ様です、マネージャーを勤める木崎修介と申します。以後、宜しく御願い致します」

明らかに新品と判る綺麗な名刺を差し出し、彼は丁寧に挨拶をして来た。
少し背筋を伸ばすと、笑みを浮かべて何かを促している。
その様子にポケットを探ると、出て来たのが紙切れの代物で、どこから見ても擦れていた。

「岩谷優輝さん、苗字で呼んでも構いませんか?」

彼は文字すら判別も出来ない縒れた物を片手に此方を伺い、軽く頷いた合間で背中に手を当てたまま外へと促して行く。
遠慮は要りませんので、と喫煙所を前に自然な仕草で胸元から煙草を差し出す。

断りながらも頼りない身体でポケットに指を掛け、煙草を取り出してから小さな存在に気付いて戻した。

口内で飴を溶かしたまま、当ても無く上の空を仰ぎ始める。
隣では彼が煙草に火を点け、大きく吐き出していた。

暫しの休息を横目に、半分程の灰を眺めた所で、徐に声が流れて来る。

「簡潔に言いますと、全て咲山璃乃に合わせて頂きます」

幾ら何でも、と直ぐに顔を向けるも彼は軽く頷いて続けた。

「契約金は一ヶ月で一本、その他の費用等は別途で支給致します。此方のスケジュール上、撮影期間は多く見積もって三ヶ月。万が一伸びる場合は御連絡下さい」

捲くし立てる口振りで告げ、残りの煙草を深く吸い、長めに吐き出しながら吸殻を静かに灰皿へ落としていく。
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