あの日の誓い
 私たちの前に来たマスターは立ち止まり、丁寧に頭を下げる。

「いらっしゃいませ華代さん。今夜もありがとうございます」

「マスターの作るカクテルをしっかり味わい、聖哉くんの弾くピアノに耳を傾けて、心からリフレッシュさせてもらうわ。って先週も来たけどね」

 いつもよりテンションの高いハナの様子で、私生活が充実しているのがわかった。年上の彼氏ができたおかげだろう。

 楽しげなハナを横目で眺める私を尻目に、マスターは胸に手を当てながら返事をする。

「仕事でお疲れの華代さんには、サービスしなければなりませんね」

 にこやかな笑みを浮かべてカウンターの向こう側に入ったマスターに、憮然としながら口を開く。

「マスター、私も疲れてる!」

「もちろん、絵里さんにもサービスします」

 にこやかに微笑んだマスターが親指を立てて、いつものように私たちのカクテルを用意していく。

「絵里も聖哉くんのお土産受け取ったんだ」

 カウンターに置かれた、まだ手をつけていない小袋を見て、ハナが指摘した。

「さっきマスターから受け取ったばかりなんだ。なにが入ってるのかな?」

 気を取り直して、ワクワクしながら袋を開けたら、水色のオシャレなハンカチが出てきた。

「私はピンクだったよ。聖哉くんってばセンスいいよね。しかもハンカチとか普段使いしやすいものをお土産にするなんて、本当にわかってる」

「ねぇハナ、彼氏と一緒に、ここに来たんだって?」

 思いきって、年上の彼氏のことを訊ねた。

「行きつけの店に行ってみたいって言われてね。仕事帰りに寄ったの」

「そうなんだ、ふぅん。どこで知り合ったの?」

「実は直属の上司なんだよね。ビックリでしょ?」

 おどけるようにクスクス笑うハナに、わざとらしく告げる。

「マスターから話を聞いたときは、ぶっ飛んだわ。年上とは絶対付き合わないと思ってたし」

「だよねぇ、私もびっくり」

「もしかして結婚を意識したから、とか?」

 来年三十路になる私たち。否が応でも結婚を意識するし、親からの圧力も当然ある。

「結婚は全然意識してなかったな。だって彼、既婚者だし」

「へっ?」

 あっけらかんと笑いながら答えたハナに、呆然とするしかない。マスターがどこか言い難い感じで彼氏の話をしたことや、突然話題転換したことも、ハナの発言で納得してしまった。

(マスターはここでかわされるふたりの会話から、ハナの彼氏が既婚者だってわかったんだ……)

 渋い表情をしている私を見ているのに、ハナはいつもと変わらない様子で会話を続ける。

「私だって、こんな恋愛するなんて思ってなかったよ。ただ彼とは、出逢うタイミングが遅かっただけ」

「なにを言ってるの?」

「私と彼が最初に出逢っていれば、彼の奥さんになっていたのは私だってこと」

 私は開いた口が塞がらなかった。無邪気に自分の恋愛を語るハナの態度が、本当に信じられない。

「絵里さん、華代さんお待たせしました。いつものカクテルとサービスのチャームです」

 マスターはカウンターにコースターを置き、それぞれオーダーしたカクテルグラスとチャームを私たちの前にセットしてくれた。

「ごゆっくりどうぞ」

 その場に漂う不穏な空気を読んだのか、いつもなら世間話に花を咲かせるマスターが奥に引っ込んでしまった。

「絵里、乾杯しよ」

「あ、うん……」

 どちらからともなくカクテルグラスを乾杯し、一口だけ飲んで喉を潤した。
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