あの日の誓い
 私が言い淀むと、目の前で小さくほほ笑む。

「僕が既婚者でいつか妻と別れるとは言っているものの、それがいつになるか実際のところわからないわけだから、華代を不安にさせているんです」

 ハナを不安にさせていることがわかっているのに、どうしてこのタイミングで笑うことができるのか、まったくもって理解ができない。愛想よく接すれば、誰でも自分になびくとでも思っているのだろうか。

「…………」

 津久野さんの愛想笑いとは裏腹に、私は無言のまま渋い表情を崩さなかった。

「絵里さんは華代と学生時代から長い付き合いをしているから、落ち込んだ彼女が元気になる方法を知っていると思ってね。それを聞きたくて、連絡先を聞いてみたわけなんだ」

「はあ……」

「僕としても妻とは早く話し合いをして、今後の決着をきちんとつけたいと考えてる。華代のために」

「そうですね」

 まったく感情のこもらない空返事を続けているのに、津久野さんはずっと喋り続けた。

「支店から本店に異動して、名ばかりの部長になった僕を、華代は献身的に支えてくれたのが、好きになったキッカケなんです。彼女がいなければ、僕は本店で使えない男として評価されていたと思います」

「部長ってば絵里に、私の自慢話ばかりして。呆れているじゃない、もう!」

 タイミングよくハナが戻ってきて、津久野さんの隣に腰かけた。

「あのねハナ、津久野さんに連絡先を聞かれたんだけど……」

「あら、もしかして喧嘩したときのために、絵里の連絡先を聞いたの?」

 ハナは津久野さんに軽く体当たりして、顔を覗き込む。

「喧嘩よりも、華代が落ちこんでいるときの慰め方を聞き出そうと思ってね。時々手に負えなくて、困っているから」

「そしてそこから、くだらない口喧嘩に発展しちゃうしね。だけど絵里は真面目だから、部長には連絡先を教えていないでしょう?」

 わざわざ私に指を差しながら、楽しそうに語るハナ。津久野さんはそれに合わせるように相槌を打ちながら返事をする。

「うん……」

「部長ってば大人なのに、変なところでどこか頼りなさげなところがあって、私が支えてあげないとなって思わされるの」

「変なところで?」

 私がボソッと呟くと、津久野さんはバツが悪そうに頭を掻き、それを見たハナはカラカラ笑う。いい雰囲気がボックス席に漂うとそれに導かれるように、マスターが顔を出した。

「お待たせいたしました。どうぞ」

 オーダーしたカクテルを手際よくそれぞれの前に置くと、テーブルの中央に手軽に摘まめそうなチーズやクラッカーのセットを置いてくれた。

「マスター、これ頼んでないけど?」

 私がマスターの顔を見上げながら指摘したら、ニッコリ微笑んで軽くお辞儀をする。

「絵里さんと華代さんには、いつもお世話になってますから。サービスです、ごゆっくりどうぞ」

「ありがとう、マスター。今度高いお酒を頼むわ」

 私がお礼を言う前にハナに先を越されてしまい、言葉を考えてる間に、マスターは聖哉くんが弾くピアノの傍に行ってしまった。
< 7 / 66 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop