あの日の誓い
 私が聖哉くんとマスターのふたりをぼんやり眺めていると、ハナが「ほらほら、こっちに注目!」と言って、私の気を引き付ける。なんとはなしに顔を戻したら、私用のカクテルグラスを手にしたハナが、ずいっとそれを差し出した。

「絵里早くはやく。乾杯しよ!」

「あ、うん……」

 いつもよりテンションの高いハナに気圧されながら、カクテルグラスを手にすると、目の前のふたりも視線を合わせてグラスを掲げた。

「私たちの出逢いに乾杯!」

「乾杯」

 ハナの号令で、タイミングよく三人のグラスを合わせて鳴らす。一口だけお酒を飲みながら、目の前の様子を眺めた。傍から見たら、どこにでもいる仲のいいカップルにしか見えないふたり。

 だけど実際、相手の男は既婚者で、ハナは不倫をしていることになる。婚姻という誓約をかわしたというのに妻を欺き、ほかの女と関係を結ぶ男が、いいヤツなわけない。

「ねぇハナ、津久野さんの名刺をいただいてもいいかな?」

 こっちの情報を与えたくなかった私は、意を決して思いきったことを口にした。

「絵里からそんな、積極的な言葉を聞くとは思わなかった。なんで?」

 ハナは驚いた顔でグラスをテーブルに置き、私の顔をまじまじと見つめる。

「ハナの大事な人のことが知りたいと、私が思っちゃダメなの? もちろん私から津久野さんに、連絡は絶対にしないよ。指切りしてもいい」

 言いながらハナの目の前に、利き手の小指を差し出した。そんな私を見た津久野さんは、おもむろにスーツのポケットから名刺ケースを取り出し、中から名刺を出すと、それをハナの手に持たせた。

「華代が絵里さんに渡すかどうか決めてくれ」

 あえて自分からではなく、ハナに主導権を握らせる手法に、津久野さんの手ごわさを感じた。

 ハナは津久野さんから受け取った名刺を眺めてから、私が差し出した小指を見る。

「絵里を信じるよ……」

 そう告げて、私の小指にハナは自分の小指を絡めた。そして手にした津久野さんの名刺を私の前に差し出す。絡められたハナの小指を強く絡め返した。

 その後、三人でとりとめのない話で盛りあがり、楽しいときを過ごす。帰り際に次も三人で飲もうなんて、ハナから約束するとは思いもしなかったくらい、それはそれは盛りあがった。

 店から出て、仲睦まじい後ろ姿を、なんとはなしに眺める。

 私なりに津久野さんのことを調べあげ、後ろ暗いところを見せれば、ハナがこの付き合いをやめると考えた。ハナが渡してくれた名刺を使って、私が津久野さんのことを徹底的に調べるとは、彼女も思っていなかっただろう。
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