君が月に帰るまで
向田は、以前遊びにきたことのある、遠い親戚の女の子と勘違いしたのだとか。さすがにバットで殴りかかってきたときには肝が冷えたと、ゆめは笑った。

「それならよかった。向田さんはもう大丈夫だね。そうだ、道覚えながら行かないと。帰り、ほんとにひとりで大丈夫?」

「たぶん」

「たぶん? 心配だな、じゃあ休憩時間に急いで送るよ」

家から塾までは道もそう難しくないが、ゆめはまるで知っているかのようだ。はじめの後ろを、上を見ながらキラキラ目を輝かせて歩いていきた。塾に着くと、はじめと同じ講座を二週間分ゆめは申し込んだ。医学部受験用コースなのに、ほんとにいいのかな?

「ゆめ、きっとつまんないと思うよ?」

「なんで? まだ受けてもないのに? 最初から決めないでよ」

ツンとするゆめをみて、はじめは小さく息をつく。思ったことが、すぐ言えるゆめがうらやましかった。

心の中にモヤがかかって、言葉すらうまく出てこないのことのあるはじめは、夏の青空のようなスカッとしたゆめの心に羨望の眼差しを向けた。

教室のいちばん後ろの窓際の席にゆめとふたりで座る。ややあって、かえでが声をかけてきた。

「はじめくん、おはよう。あれ? その子……」

「おっ……おはよう! あぁ、この子親戚の子。きょうから二週間こっちで勉強するんだ」

急に話しかけられて、はじめは声がうわずった。かえでの美しさはきょうも健在だ。

「紅葉かえでといいます。よろしくお願いします」

相変わらずのかわいさで笑顔をゆめにもむけたかえで。ゆめはじっとかえでを見ると目を机に落として「はじめまして……」と消え入るように言うと、プイッと横を向く。人見知りか?

「えええっと、こちらはうちの遠い親戚で、坂井ゆめさん」

はじめは慌てて紹介をする。一言くらい話したらいいのに!

「よろしくお願いします。じゃあ」

色白の手を小さく振って、かえでは教室のいちばん前の席についた。塾での席は模試の成績順になっている。

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