君が月に帰るまで
「志望校変えろって……もう僕には無理ってことですか!!? 講師のくせに、匙投げるんですか!?」
面接室に入るなり、はじめは声を荒げて橘にくってかかった。
「そうじゃない。たしかに親御さんも医者だから、医学部志望なのは当然だよな」
ぶっきらぼうに話しながら、橘はガタンとイスに座る。足を組み、机に右ひじをついてはじめのほうを見て大きく息をつく。
「……志望校選びは自由でしょう。それに、もし合格できれば、塾としてもいいのでは」
毎年3月末にもなると、塾の壁に「A大学現役合格〇〇名!」というデカデカとした宣伝文句が並ぶ。難関校合格者は1人でも多いほうがいい。
頭が良くて、とくに志望校のない子は、難関大学を有無を言わさず受験するよう仕向ける傾向があるように、はじめは感じていた。
「そう。塾としてはいいよ。でも君はどうなんだい?」
またそれか。この人もそう言うのか。
「古文や漢文の時のお前の目つき。すごくいいぞ」
立ったまま項垂れていたはじめは、弾かれたように顔を上げた。
「好きなんだろ? 古文や漢文が。廊下の窓越しにみただけでも伝わるくらいだ」
好き……? 古文や漢文が? たしかに他の教科よりも成績はいいけど……。
「お前がそれでも医学部志望ならそれでいい。ただ、その先は? 医者になる気が本当にあるのか? その覚悟は? 考えている時間はあまりないもしれない。でもお前の人生だ。よく考えろ。以上だ」ぎゅっと拳を握りしめたはじめの隣を、バタバタと橘は出ていった。
なんで……、なんで。医学部目指すのがそんなに悪いのかよ。
医学部のその先は……医者になった自分の姿は……。それが全く想像できない。できないというより、したくないのかもしれない。
頭を片手でぐしゃぐしゃとかきむしりながら面接室を出ると、ちょうど通りかかったかえでと目があった。
「あれ、今日面接だったの?」
キョトンとして立ち止まり、首を傾げる。
「あ、うん。少しだけ」
かえでの目なんか、到底見れない。きょうはほっといてくれ。そう思って目を伏せる。
「そう……」
かえではそれ以上何も言わなかった。
そうだ、せめてきょうのお礼くらいは言わないとと、無理やり笑顔を作ってかえでの方を向いた。