死グナル/連作SFホラー
畳の下⑧
元不動産業:安原鈴絵の場合
『…大学も出ていないデキの悪い頭にムチ打ってさ、一生懸命考えたわ(苦笑)。…まずは、改めてあの和室の畳工事を思い返した。俺、畳に針を刺してる間は、言ってみりゃ別の世界に行ってるんだよな。…気持ちがさ。要は仕事に集中ってことに収まるだろうけど。畳と呼吸を交わしてる感覚だよ。だからさ、あの現場での作業中は、例の床の間んとこの畳とも、自然と”交わし合ってた”ことはあるんだろう…』
この小原さんの言葉には、とても説得力を感じました。
『…それを認めた上で、その畳の裏側には、Aさんの情念が染み込んでた…。そういった面と交信し合ったやったってことなどは、なくもないかなって気になってね…』
「…」
『…それから5年近くして、Aさんが亡くなったって、息子さんから連絡があってね…。ほどなく、俺は屋敷を訪ねてAさんの仏前に線香を手向けたよ』
Aさんは死ぬ間際に自宅の和室に戻って、なんと例の床の間の畳にしがみつくように、うつ伏せの態勢で息を引き取っていたそうなのです…。
***
『…Aさんが施設をどうやって抜け出したのかは、若旦那夫婦も首をかしげていたよ。だけど俺が思うには、それはもう火事場のバカ力で終結するよ。強い思いの元、畳の裏側と共にこの世から逝ったんだ。…その業の深さは計り知れないと思うけど、俺なんぞが口を挟む筋合いじゃあないし…』
ふと思ったのは、すでに小原さんはAさんの死を前にした心理状況というものを、何気なくくみ取っていたということでした…。
それって…。
『…”2度”目以降は数えきれないほどだったけど、決して誰かが死んだとか、特別な時ばかりじゃなかったよ。むしろ、なに気ない、ごく日常にふとってことの方が多かった。いきなり、あの死後の顔が脳裏に降りたつ…。何度経験しても、あの感覚は言葉にできない。俺としては、わずかの時間、どっかに連れて行かれたってのが正直なところなんだよな』
小原さんのこの一節は、今の私にはとてもリアルに伝わります。こののち、他ならぬ私自信が、何度も体験する事になるのですから…。
***
『…でもね、Aさんが亡くなった後は、俺としてもどこか割切ることができるようになった気がするんだよ。業深き行いは死後、業火に放られる…。そんな心の奥底の自覚が、死後のあの顔を生きてるうちに漂わせちゃったんじゃないかって…。我々の生きてるこの世界、この空間にね。だけどさあ…、そんなもん、誰もが見える訳じゃないよ。その情念と同期化できる人間に限られるさ。それが俺だったんじゃないかってね…』
「同期化ですか…」
『うん…。あの人の行いがいい悪いは別として、その情念に向き合っちゃった。無視しなかった…。俺はきっと、死ぬまであの死後の顔でその都度、己の死後を考えさせられるんだ。本音で言えばしんどいよ、鈴絵さん。できるなら、あの顔を自分の意識から葬り去りたい。すっかり忘れたいんだ。無理だろうけど…』
この時の小原さんの顔はあきらめの表情…、それは、とても悲しい顔つきに見えました。
元不動産業:安原鈴絵の場合
『…大学も出ていないデキの悪い頭にムチ打ってさ、一生懸命考えたわ(苦笑)。…まずは、改めてあの和室の畳工事を思い返した。俺、畳に針を刺してる間は、言ってみりゃ別の世界に行ってるんだよな。…気持ちがさ。要は仕事に集中ってことに収まるだろうけど。畳と呼吸を交わしてる感覚だよ。だからさ、あの現場での作業中は、例の床の間んとこの畳とも、自然と”交わし合ってた”ことはあるんだろう…』
この小原さんの言葉には、とても説得力を感じました。
『…それを認めた上で、その畳の裏側には、Aさんの情念が染み込んでた…。そういった面と交信し合ったやったってことなどは、なくもないかなって気になってね…』
「…」
『…それから5年近くして、Aさんが亡くなったって、息子さんから連絡があってね…。ほどなく、俺は屋敷を訪ねてAさんの仏前に線香を手向けたよ』
Aさんは死ぬ間際に自宅の和室に戻って、なんと例の床の間の畳にしがみつくように、うつ伏せの態勢で息を引き取っていたそうなのです…。
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『…Aさんが施設をどうやって抜け出したのかは、若旦那夫婦も首をかしげていたよ。だけど俺が思うには、それはもう火事場のバカ力で終結するよ。強い思いの元、畳の裏側と共にこの世から逝ったんだ。…その業の深さは計り知れないと思うけど、俺なんぞが口を挟む筋合いじゃあないし…』
ふと思ったのは、すでに小原さんはAさんの死を前にした心理状況というものを、何気なくくみ取っていたということでした…。
それって…。
『…”2度”目以降は数えきれないほどだったけど、決して誰かが死んだとか、特別な時ばかりじゃなかったよ。むしろ、なに気ない、ごく日常にふとってことの方が多かった。いきなり、あの死後の顔が脳裏に降りたつ…。何度経験しても、あの感覚は言葉にできない。俺としては、わずかの時間、どっかに連れて行かれたってのが正直なところなんだよな』
小原さんのこの一節は、今の私にはとてもリアルに伝わります。こののち、他ならぬ私自信が、何度も体験する事になるのですから…。
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『…でもね、Aさんが亡くなった後は、俺としてもどこか割切ることができるようになった気がするんだよ。業深き行いは死後、業火に放られる…。そんな心の奥底の自覚が、死後のあの顔を生きてるうちに漂わせちゃったんじゃないかって…。我々の生きてるこの世界、この空間にね。だけどさあ…、そんなもん、誰もが見える訳じゃないよ。その情念と同期化できる人間に限られるさ。それが俺だったんじゃないかってね…』
「同期化ですか…」
『うん…。あの人の行いがいい悪いは別として、その情念に向き合っちゃった。無視しなかった…。俺はきっと、死ぬまであの死後の顔でその都度、己の死後を考えさせられるんだ。本音で言えばしんどいよ、鈴絵さん。できるなら、あの顔を自分の意識から葬り去りたい。すっかり忘れたいんだ。無理だろうけど…』
この時の小原さんの顔はあきらめの表情…、それは、とても悲しい顔つきに見えました。