タタミノウラ/怪談調ホラー短編

その6

その6
瞼に訪れたカオ


「若旦那、奥さん…、いやあ、恐縮です。勘定に色付けまでしていただいて…」

「いえいえ…。小原さんには、大そう丁寧な仕事で仕上げていただいて…。おかげで、いつもの陽射しが倍眩しい…。ほんとに今回は、ありがとうございました…」

面川保憲夫妻はいつもの床の間前で正座のまま、正面の源吉に向かって深々と頭を下げた。

「いやいや、お二人とも、そこまでは勘弁してくだせえ。オレは、与えられた仕事を等身大でこなしたまでです。こっちこそ、見事な伝統来の和間の床に命を吹き込めて大変感謝しています。それで…」

「小原さん!ひょっとして、工事中にこの部屋で、何かありましたか⁉」

保憲は、ちょっと慌てて、早口でそう問いかけた。
その際、目線は右斜め前方の黒んずんだ例の畳に向けられていた。

源吉は一呼吸を置き、目の前に差し出された狭山茶を手にして一口のどに流し込んでから、咳払いをして再び口を開いた。

***

「いえね…、仕事中、別に何か不吉な事が起こったとかではないんです。ですがね…、日中とは言え静寂の中でひたすら畳に向かって精神を集中させてると、時にその静寂を破る気配というか、そういうものが肌感で伝わってきましてね。まあ、こんなことはほかの現場でも結構あるんです」

「…」

「…そこには人などいないはずなのに、おや、誰かおるのかなとか…。でも、いないんですよ、そこには…。今回もそんなことが2度ほどありました」

「小原さん…!それは、やはりそこの畳の…、その関係ってことですかね?」

「ええ。…ですが、そん時は縁側から風が立ち込めるざわつきだとか、虫の這う蠢きだとか…、そんなものだったかもしれません。その後なんです。正確にはここの現場を終える前々日の明け方のことでした…。便意を催して、自宅の便所でしゃがんであくびをして、一瞬目を閉じたんです。その瞬間、瞼を埋め尽くしてるはずの暗がりに、ぼやっと人の顔が浮かびましてね…」

「…」

保憲夫妻は目を合わせ、軽く息を呑んだ。
そして、源吉の次の言葉を待ったのだが…。

「その顔…、間違いなくこの世のそれではなかった…。それはすぐに認知できたんです。もう、それは悍ましい顔で…。だが、年は20代か30代の男性でした」

「あのう…、小原さん…」

「ふう…、唐突だが、面川さん…。お父さんの写真をお見せいただけませんか…?最近のではなく、お若い時のモノを…」

「小原さん!では、その死人顔であなたの瞼に訪れた若い男は、私の父だというんですか?」

源吉の口から出た言葉に驚愕した保憲は、思わず声を荒げてこう聞き返した
保憲夫妻からはすでに顔から血の気が失せていた…。

***

「おそらく間違いありません。お二人には即座に何故と問われるでしょうから、先に答えます。気配です。ここで仕事してた時の感触と同じだったんですよ。それは五感全体でのですわ」

「わかりました、今、妻に父の若い頃のアルバムを持ってこさせましょう…」

数分後…、保憲の妻は義父、伊太造の古いアルバムを手に戻ってくると、それを受取った保憲が、中ほどの某ページを見開き状態にして源吉に手渡した。

「小原さん、これが父の若き日の顔写真です。どうですか?」

源吉は眼鏡をはずし、そのページに張られていた数枚の写真に両眼を往復させ、数秒凝視した。
そして…。

「やはりでしたよ、面川さん…。私の瞼に訪れた死に顔はこの当時の伊太造さんですわ」

源吉はきっぱりと言い切った。

「しかしなぜ…!それになんで、その若い父の顔が死んでるって…。実際まだ父は生きているんですよ!」

「何故だかは、俺にもわかりません。でも、あの顔は死んだ後の伊太造さんだった…。この世の顔ではなかった…。若旦那ご夫妻には、信じがたいことでしょうがねえ…。このことは、お二人に伏せておこうかとも考えましたよ。だけんど、お父さんのことを全部お話しいただいたんで、こっちも隠さずお伝えして方がよいとねえ…」

源吉は何とも複雑な表情を浮かべ、保憲夫妻を気遣っていた。

「…なので、気にしないで欲しいとは言えませんが、お二人に何か事が及ぶことはないと思いますから、何分、よしなに収めてくだせえ…」

「わかりましたよ、小原さん。貴方のお気遣いはありがたい。父の生い先も短いでしょうし、このことは別段、災厄を招く現象とかではないと解釈しますので…」

「ええ、それがよろしいでしょう。…では、面川さん、この旅は大変お世話になりやした。誠にありがとうございました…」

「こちらこそ、大変お世話になり、感謝しております。小原さんもお元気で…」

この時はこれで終わった。

そしてこれから約1年後、面川伊太造は急性心筋梗塞で死去するのであったが…。





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