タタミノウラ/怪談調ホラー短編
その8
その8
巡る因果
それから2週間後、小原源吉は群馬の面川邸に赴いた。
「若旦那…、この度は誠にご愁傷さまです。先代さんの成仏を祈願してやみません…。本日は、お線香を手向けて先代さんのご冥福を祈願させていただきます」
「小原さん、よくお見えになってくれました。どうぞ、お線香をあげてやってください」
「へい…、では…」
源吉の胸中はまさに明鏡止水…、この4文字に尽きた。
目をつぶって仏前に手を合わせている最中、源吉は仏壇の主に語りかけていた。
”先代さん…、あんたが生前に及んだ所業は人間社会で許されるものではなかった。是非、そっちの枠内で贖罪として欲しい。情念の成す性はオレも許容してしまったようだから…”
源吉は仏前の主への宣言を簡易に削がなかった。
それは、ある予見から…。
***
「そうですか・・、伊太造さんは死ぬ間際に自宅の和室に戻って、なんと例の床の間の畳にしがみつくように、うつ伏せの態勢で息を引き取っていたと…」
「オヤジが施設をどうやって抜け出したのかは、私ら夫婦も首をかしげましたが、それはもう火事場のバカ力ってことで帰結すると結論を出しました。強い執着心の元、業深き面川伊太造は、畳の裏側と共にこの世から逝ったんだと…。その因果は計り知れないと思うけど、私なんぞが総括できる範疇ではないと自分に言い聞かせました」
面川保憲の実直な自己見解を一呑み込みした上で、すでに源吉は伊太造の死を眼前にした心理状況というものを、何気なくくみ取っていたのだろう…。
小原源吉はこの翌年、持病の前立腺がんでこの世を去った。
その数か月後…。
***
ー私の瞼に小原さんの”死後の顔”が初めて訪れるのが、同じ業者界の仕事仲間であった電機屋の時田さんが亡くなって3年後の暮でした。その時は、病弱だった腹違いの妹が生涯独身で孤独な死を迎える直前だったんです。
”私を訪れた”小原さんは、若い頃ではなく、当時のリアルタイムに近かった感じで捉えていましたが、いつもの精悍な顔つきではなく、髪の毛は逆立ち、黄色い髭がにょきにょき顎辺りを蠢いていたんですー
ーこのカオは、彼が亡くなった後もほぼ同様で、私には死後の自分を伝える姿が、それなんだろうと理解する他ありませんでした。要するに、私は小原さんが私にお話していた群馬の面川さんを”見ていた”ように、彼の生前からその死後の顔を見ることになったのです。私は迷いましたが、このことは小原さんが亡くなるまで告白しませんでしたー
ー時は巡り、この私も時田さんが亡くなった当時の小原さんとほぼ同年齢に達しました。健康状態もあの当時の彼とは、似たようなものだと思います。すなわち、今まで私の瞼の中を訪れる死後の顔から胸に去来する、死へのリアル感は格段に上がったのですー
ーあの時、いみじくも小原さんが口にしていたように、できることであれば、死後の顔は脳裏から排除したい…。これが正直な気持ちです。でも…、ここに来て思うのです。小原さんは面川さんの、おぞましい生前における行い、業の深さが染み込んでいる畳と接触することで、面川さんが怯え慄いていたであろう、生前の自分が招きよせたこの世での自分の死後…。それを畳職人である小原さんに発信したのかも知れません。無論、本人の知り得ないところで…ー
ー対して私はどうなのか…。今は分かり得ません。しかし、あの時田さんをこの世から送り出す通夜の席で、二人、死ということを一歩踏み込んで話し合ったあの場は、間違いなくひとつのきっかけになったと思えるのです。ですから、私のような境遇に辿り着く人は他にもいるはずです。きっと…。そう思えてなりません。ひょっとしたら、今日、道端ですれ違った女子中学生とかも…ー
≪小原源吉と仕事をともにした、不動産業者安原鈴江、生前の日記より抜粋≫
ー完ー
巡る因果
それから2週間後、小原源吉は群馬の面川邸に赴いた。
「若旦那…、この度は誠にご愁傷さまです。先代さんの成仏を祈願してやみません…。本日は、お線香を手向けて先代さんのご冥福を祈願させていただきます」
「小原さん、よくお見えになってくれました。どうぞ、お線香をあげてやってください」
「へい…、では…」
源吉の胸中はまさに明鏡止水…、この4文字に尽きた。
目をつぶって仏前に手を合わせている最中、源吉は仏壇の主に語りかけていた。
”先代さん…、あんたが生前に及んだ所業は人間社会で許されるものではなかった。是非、そっちの枠内で贖罪として欲しい。情念の成す性はオレも許容してしまったようだから…”
源吉は仏前の主への宣言を簡易に削がなかった。
それは、ある予見から…。
***
「そうですか・・、伊太造さんは死ぬ間際に自宅の和室に戻って、なんと例の床の間の畳にしがみつくように、うつ伏せの態勢で息を引き取っていたと…」
「オヤジが施設をどうやって抜け出したのかは、私ら夫婦も首をかしげましたが、それはもう火事場のバカ力ってことで帰結すると結論を出しました。強い執着心の元、業深き面川伊太造は、畳の裏側と共にこの世から逝ったんだと…。その因果は計り知れないと思うけど、私なんぞが総括できる範疇ではないと自分に言い聞かせました」
面川保憲の実直な自己見解を一呑み込みした上で、すでに源吉は伊太造の死を眼前にした心理状況というものを、何気なくくみ取っていたのだろう…。
小原源吉はこの翌年、持病の前立腺がんでこの世を去った。
その数か月後…。
***
ー私の瞼に小原さんの”死後の顔”が初めて訪れるのが、同じ業者界の仕事仲間であった電機屋の時田さんが亡くなって3年後の暮でした。その時は、病弱だった腹違いの妹が生涯独身で孤独な死を迎える直前だったんです。
”私を訪れた”小原さんは、若い頃ではなく、当時のリアルタイムに近かった感じで捉えていましたが、いつもの精悍な顔つきではなく、髪の毛は逆立ち、黄色い髭がにょきにょき顎辺りを蠢いていたんですー
ーこのカオは、彼が亡くなった後もほぼ同様で、私には死後の自分を伝える姿が、それなんだろうと理解する他ありませんでした。要するに、私は小原さんが私にお話していた群馬の面川さんを”見ていた”ように、彼の生前からその死後の顔を見ることになったのです。私は迷いましたが、このことは小原さんが亡くなるまで告白しませんでしたー
ー時は巡り、この私も時田さんが亡くなった当時の小原さんとほぼ同年齢に達しました。健康状態もあの当時の彼とは、似たようなものだと思います。すなわち、今まで私の瞼の中を訪れる死後の顔から胸に去来する、死へのリアル感は格段に上がったのですー
ーあの時、いみじくも小原さんが口にしていたように、できることであれば、死後の顔は脳裏から排除したい…。これが正直な気持ちです。でも…、ここに来て思うのです。小原さんは面川さんの、おぞましい生前における行い、業の深さが染み込んでいる畳と接触することで、面川さんが怯え慄いていたであろう、生前の自分が招きよせたこの世での自分の死後…。それを畳職人である小原さんに発信したのかも知れません。無論、本人の知り得ないところで…ー
ー対して私はどうなのか…。今は分かり得ません。しかし、あの時田さんをこの世から送り出す通夜の席で、二人、死ということを一歩踏み込んで話し合ったあの場は、間違いなくひとつのきっかけになったと思えるのです。ですから、私のような境遇に辿り着く人は他にもいるはずです。きっと…。そう思えてなりません。ひょっとしたら、今日、道端ですれ違った女子中学生とかも…ー
≪小原源吉と仕事をともにした、不動産業者安原鈴江、生前の日記より抜粋≫
ー完ー