なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
18.私にできる事
旦那様が向かった山の方を時折窓から見つめながら、落ち着かない気持ちで離れの部屋で待機していると、夕方近くになって兵士の方が、旦那様からの手紙を持って来てくださった。
山に魔獣が現れた事、部下の方が一人重傷を負った事、警備を強化したいが人手不足な為、今その方に付き添っている兵士の方に代わって、私に怪我人の付き添いをして欲しい事が書かれていて、私はすぐに手紙を持って来てくださった兵士の方と病院に向かった。
「失礼します。ルースさん、キンバリー総司令官が付き添いをこのお嬢さんと代わって、すぐに詰所に戻るようにと仰っています」
「何だと……!?」
病室のベッドの枕元の椅子に腰掛けていた兵士の方が、愕然としたように目を見開いたが、すぐに目を伏せて呟いた。
「……人手が足りないのか」
「はい。ルースさんのお気持ちは分かりますが……」
「いや、仕方がない事だ。行こう。……お嬢さん、すみませんが、こいつの事を、どうか宜しくお願いします」
「は、はい。分かりました」
ルースさんは沈痛な面持ちで私に深々と頭を下げた後、私を連れて来てくださった方と一緒に病室を出て行った。お二人を見送った私は、ルースさんが座っていた椅子に腰を下ろし、改めて重傷を負った人を見つめる。
死人のような土気色の顔色をした男の人は、まだ若かった。青年と言うよりは、まだ少年と言った方が近いのかも知れない。恐らく、私と歳も左程変わらないだろう。
そんな人が、魔獣と戦い、傷を負って、今、生死の縁を彷徨っている。私達を守る為に戦ってくださったのに、私には何もできない。ただ、こうして付き添っているだけだ。
(お忙しい筈なのに、私に手紙を書いて頼まれるくらいなのだから、きっと旦那様は、部下の方を大切に思っていらっしゃるのだろうな。さっきの人も、この人を凄く心配しているみたいだった。本当はご自分がずっと付き添っていたかったんだろうな……)
旦那様のお気持ちや、ルースさんの本心を考えると、私も何かできる事があればしたいと思う。だけど考えた所で、実際に私にできる事なんて、せいぜいこの人の為に祈る事くらいだ。無力感に苛まれて、私は膝の上に置いた両手を強く握り締めた。
(私にできる事なんて、これくらいしか……)
ポケットから、仕事用のメモ用紙とペンを取り出す。お母さんに教わった治癒のおまじないの模様を描いて、額に押し当てて祈りを捧げた。兵士の方の上掛けをそっと捲ると、包帯だらけの痛々しい姿が目に飛び込んできて、胸が痛くなる。一番血が滲んでいる右腕の包帯の隙間に、傷に障らないように気を遣いながらそうっと紙を差し込んで、上掛けを元に戻した。
(どうか、この人の怪我が少しでも良くなりますように)
それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。病室の扉がノックされて、私は顔を上げた。何時の間にか、窓の外はすっかり暗くなっている。
「サラ、ジムの様子はどう?」
入室して来たのはジャンヌさんだった。
「私が交代した時から、ずっと変わらないように見えます」
立ち上がった私は、男の人を振り返りながら答えた。
「そう……。ジムの付き添いは私が代わるわ。下に巡回中の部下達を待たせているから、宿舎まで送ってもらって帰りなさい」
「え? 人手不足だと聞いていましたが、もう大丈夫なんですか?」
「ええ。私は今休憩時間なんだけど、さっきまで魔獣と戦っていたから気が昂っているし、ジムの事も気になるしで、どうせ仮眠なんてできそうにないもの。似たような連中と交代で付き添いをしようって話になったのよ」
「そうだったんですか……」
とは言え、私もこのまま帰っても、ジムさんの事が気になって眠れないような気がする。だけど、ジムさんに付き添いたいという気持ちは、ほぼ見ず知らずの私よりも、気心の知れたジャンヌさんや兵士の方々の方がより強いに違いない。
「……分かりました。では、私はこれで失礼します」
「ジムに付き添っていてくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
「はい」
後ろ髪を引かれながらも、病室の扉に手を掛けた時だった。
「……ぅ……」
小さな呻き声が聞こえた気がして、私は思わず振り返った。ジャンヌさんも気付いたようで、驚いたようにジムさんを見つめている。
もしかして、と思ってベッドに駆け寄ると、ジムさんの瞼がピクピクと動いて、やがてゆっくりと目が開いた。
「ジム! 気が付いたのね!」
「……た、いちょ……?」
大分掠れているけれども、ジャンヌさんの呼び掛けにしっかりと答えたジムさんを見て、もう大丈夫だと表情が明るくなる。
「ジャンヌさん、私先生を呼んで来ます!」
「ええ、お願い!」
病室を飛び出した私は、見付けた看護師さんと一緒に院長室に行き、先生に来てもらった。
「……うん、意識も戻った事だし、命の危機は脱したと見て間違いないでしょう。詳しい検査は明日行いますので、今晩はゆっくりと休ませてあげてください」
「分かりました。ありがとうございます」
退室する先生にお礼を言った私とジャンヌさんは、顔を見合わせて微笑み合った。
「じゃあ私、下で待ってくださっている方々にも、ジムさんが目を覚ました事を知らせておきます」
「ええ、お願い。あいつらに言っておけば、詰所に居るセス達にも伝わるわ」
「はい! では失礼します」
「気を付けて帰ってね。お休みなさい」
病院の玄関口で待ってくださっていた兵士の方々の所に行き、ジムさんの意識が戻ったと伝えると、目を輝かせて喜んでいた。ジャンヌさんが言っていた通り、巡回ついでに皆さんに知らせてくださるそうだ。
そのまま送っていただいて、私は宿舎の離れに戻った。夜道を歩きながら見上げた、満天の星が凄く綺麗だった。
山に魔獣が現れた事、部下の方が一人重傷を負った事、警備を強化したいが人手不足な為、今その方に付き添っている兵士の方に代わって、私に怪我人の付き添いをして欲しい事が書かれていて、私はすぐに手紙を持って来てくださった兵士の方と病院に向かった。
「失礼します。ルースさん、キンバリー総司令官が付き添いをこのお嬢さんと代わって、すぐに詰所に戻るようにと仰っています」
「何だと……!?」
病室のベッドの枕元の椅子に腰掛けていた兵士の方が、愕然としたように目を見開いたが、すぐに目を伏せて呟いた。
「……人手が足りないのか」
「はい。ルースさんのお気持ちは分かりますが……」
「いや、仕方がない事だ。行こう。……お嬢さん、すみませんが、こいつの事を、どうか宜しくお願いします」
「は、はい。分かりました」
ルースさんは沈痛な面持ちで私に深々と頭を下げた後、私を連れて来てくださった方と一緒に病室を出て行った。お二人を見送った私は、ルースさんが座っていた椅子に腰を下ろし、改めて重傷を負った人を見つめる。
死人のような土気色の顔色をした男の人は、まだ若かった。青年と言うよりは、まだ少年と言った方が近いのかも知れない。恐らく、私と歳も左程変わらないだろう。
そんな人が、魔獣と戦い、傷を負って、今、生死の縁を彷徨っている。私達を守る為に戦ってくださったのに、私には何もできない。ただ、こうして付き添っているだけだ。
(お忙しい筈なのに、私に手紙を書いて頼まれるくらいなのだから、きっと旦那様は、部下の方を大切に思っていらっしゃるのだろうな。さっきの人も、この人を凄く心配しているみたいだった。本当はご自分がずっと付き添っていたかったんだろうな……)
旦那様のお気持ちや、ルースさんの本心を考えると、私も何かできる事があればしたいと思う。だけど考えた所で、実際に私にできる事なんて、せいぜいこの人の為に祈る事くらいだ。無力感に苛まれて、私は膝の上に置いた両手を強く握り締めた。
(私にできる事なんて、これくらいしか……)
ポケットから、仕事用のメモ用紙とペンを取り出す。お母さんに教わった治癒のおまじないの模様を描いて、額に押し当てて祈りを捧げた。兵士の方の上掛けをそっと捲ると、包帯だらけの痛々しい姿が目に飛び込んできて、胸が痛くなる。一番血が滲んでいる右腕の包帯の隙間に、傷に障らないように気を遣いながらそうっと紙を差し込んで、上掛けを元に戻した。
(どうか、この人の怪我が少しでも良くなりますように)
それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。病室の扉がノックされて、私は顔を上げた。何時の間にか、窓の外はすっかり暗くなっている。
「サラ、ジムの様子はどう?」
入室して来たのはジャンヌさんだった。
「私が交代した時から、ずっと変わらないように見えます」
立ち上がった私は、男の人を振り返りながら答えた。
「そう……。ジムの付き添いは私が代わるわ。下に巡回中の部下達を待たせているから、宿舎まで送ってもらって帰りなさい」
「え? 人手不足だと聞いていましたが、もう大丈夫なんですか?」
「ええ。私は今休憩時間なんだけど、さっきまで魔獣と戦っていたから気が昂っているし、ジムの事も気になるしで、どうせ仮眠なんてできそうにないもの。似たような連中と交代で付き添いをしようって話になったのよ」
「そうだったんですか……」
とは言え、私もこのまま帰っても、ジムさんの事が気になって眠れないような気がする。だけど、ジムさんに付き添いたいという気持ちは、ほぼ見ず知らずの私よりも、気心の知れたジャンヌさんや兵士の方々の方がより強いに違いない。
「……分かりました。では、私はこれで失礼します」
「ジムに付き添っていてくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
「はい」
後ろ髪を引かれながらも、病室の扉に手を掛けた時だった。
「……ぅ……」
小さな呻き声が聞こえた気がして、私は思わず振り返った。ジャンヌさんも気付いたようで、驚いたようにジムさんを見つめている。
もしかして、と思ってベッドに駆け寄ると、ジムさんの瞼がピクピクと動いて、やがてゆっくりと目が開いた。
「ジム! 気が付いたのね!」
「……た、いちょ……?」
大分掠れているけれども、ジャンヌさんの呼び掛けにしっかりと答えたジムさんを見て、もう大丈夫だと表情が明るくなる。
「ジャンヌさん、私先生を呼んで来ます!」
「ええ、お願い!」
病室を飛び出した私は、見付けた看護師さんと一緒に院長室に行き、先生に来てもらった。
「……うん、意識も戻った事だし、命の危機は脱したと見て間違いないでしょう。詳しい検査は明日行いますので、今晩はゆっくりと休ませてあげてください」
「分かりました。ありがとうございます」
退室する先生にお礼を言った私とジャンヌさんは、顔を見合わせて微笑み合った。
「じゃあ私、下で待ってくださっている方々にも、ジムさんが目を覚ました事を知らせておきます」
「ええ、お願い。あいつらに言っておけば、詰所に居るセス達にも伝わるわ」
「はい! では失礼します」
「気を付けて帰ってね。お休みなさい」
病院の玄関口で待ってくださっていた兵士の方々の所に行き、ジムさんの意識が戻ったと伝えると、目を輝かせて喜んでいた。ジャンヌさんが言っていた通り、巡回ついでに皆さんに知らせてくださるそうだ。
そのまま送っていただいて、私は宿舎の離れに戻った。夜道を歩きながら見上げた、満天の星が凄く綺麗だった。