なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
2.キンバリー辺境伯領へ
ボロボロの古着数着しかない私の荷物はすぐに纏め終わり、フォスター伯爵家の馬車に乗せられた私は、片道五日はかかると言うキンバリー辺境伯領へと旅立った。
馬車に揺られながら、私は肩を落として盛大に溜息を吐き出した。
どう考えても、私がキンバリー辺境伯に気に入られるとは思えない。生粋の高位貴族だったり誰もが振り向く美人だったり名高い才女だったりと、社交界で評判が高いご令嬢方でも、門前払いで片っ端から断ってしまうような方が、どうやったら元平民で妾腹のなんちゃって伯爵令嬢を選ぶと言うのだ。
せめて私がお母さんに似て、人目を惹くスタイルに何処か品がある立ち居振る舞いで男性に人気があるならまだ良かったのだけれど。生憎似ている所と言えば黒髪黒目という部分だけで、私自身は至って平凡な顔立ちだし、あの三人から受ける罰のせいですっかり痩せこけてしまって女性らしい体型でもないし、淑女教育で身に着けられたのはごくごく基本的な事だけだ。高嶺の花と憧れられる程の貴族令嬢の方々ですら全て切り捨ててしまうような方が、もしこんな私を選ぶと言うのならば逆に怖い。絶対に何か裏があるに決まっている。
これはもう、どうすればキンバリー辺境伯に好かれるかという事よりも、どうやったら辺境伯に追い返された後も生きていけるかを考えた方が早いだろう。だけど、そんな事ができるならとっくにあの家を出ている。お金も無ければ身なりも貧相な私が、どうすれば住まいと職を得て稼いでいく事ができると言うのだ。まともな人なら余程の奇特な人でない限り、私を雇おうとは思わないだろう。まともじゃなかったら……雇ってくれるのかも知れないが、流石に犯罪とかに巻き込まれるのは……嫌だ。最終手段は身売りだけど、できればしたくないし、貧相な身体の私を買ってくれる人がいるとも思えないし……。
駄目だ。どう考えても詰んでいる。
それでも何とかしなければ、と私は無い知恵を絞ってずっと一生懸命に考えていたが、三日目には何だか寒気が止まらなくなってきた。初冬で日に日に寒くなっていく中、布地が薄い古着で北の地に向かっているからだろう。このままだと下手をすれば風邪を引いてしまうかも知れない。
案の定、五日目の夕方にキンバリー辺境伯領に着いた時には、私は寒くて震えが止まらなくなっていた。
「フォスター伯爵令嬢ですと……? 申し訳ございませんが、生憎主人は今仕事で留守にしておりますので、こちらでお待ちいただけますでしょうか?」
初老の家令らしき人に、私は客間に案内された。だけど、その困惑したような表情に、何だか嫌な予感がする。私が今日到着すると、異母兄から連絡が来ていなかったのだろうか。
それでも私は、もうキンバリー辺境伯の帰宅を待つ事しかできない。フォスター伯爵家の御者は、私を馬車から降ろすと、これで役目は終わったとばかりにすぐに帰って行ってしまったのだから。
初対面の人達に情けない姿は見せたくなくて、私は歯を食い縛り、背筋を伸ばして平静を装っていたけれど、持て成してくださった家令の人や年配のメイド頭らしき人が退室して客間で一人になった途端に、どっと疲労と倦怠感が襲ってきた。身体が怠くて熱く、頭が痛い。寒気と震えが止まらない。これは本格的に風邪を引いてしまったのかも知れない。
唯一の救いは、使用人の人達がとても優しかった事だ。家令の人は部屋に案内するなり、外は寒かったでしょうとすぐに暖炉に火を入れて部屋を暖かくしてくれたし、メイド頭らしき人が熱い紅茶を持って来てくれたお蔭で、寒気は少しだけ治まった。
(使用人の人達がこんなに良い人達なんだから、辺境伯も噂とは違って、少しでも優しい人だったら良いのにな……)
だけど悲しいかな。そんな私の淡い期待も、日がとっぷりと暮れてから帰宅した辺境伯に打ち砕かれた。
いよいよ熱が上がってきたのか、頭がぼうっとして、気を抜いたらすぐにでも意識が遠のいてしまいそうな中、ソファーの背にぐったりと身体を預けてかろうじて座っていた私は、何だか急に玄関の方が騒がしくなった事に気が付いた。辺境伯がお帰りになったのかも知れないと気合を入れ直して姿勢を正した時、客間のドアがノックされた。
「失礼する」
低い重厚な声を響かせながら入って来たのは、驚く程背が高く、立派な軍服が似合う逞しい身体つきをした男性だった。綺麗な琥珀色の髪に、海よりも深い青色の目、整った顔立ちで圧倒的な存在感を放つ彼がキンバリー辺境伯だと一目で分かったが、その端正な顔は不快に歪められ、切れ長の目は冷たく私を見下ろしている。私は萎縮しながらもすぐに立ち上がり、失礼の無いよう細心の注意を払いながら、昔習った淑女の礼を丁寧に披露した。
「お留守中に上がり込んでしまい申し訳ございません。改めまして、初めまして。フォスター伯爵家から参りました、サラと申します」
我ながら上出来だったと思う。三年間全くする機会が無くても、身体がちゃんと覚えていてくれた事に少しだけほっとした。
だけど。
「セス・キンバリーだ。フォスター伯爵令嬢と言ったな。何か行き違いがあったかも知らんが、国王陛下が余計な気を回した此度の縁談、既に当方から断りの手紙を出してある。悪いが直ちにお帰り願おう」
取り付く島もなくバッサリと切り捨てられ、私の頭からザッと血の気が引いていく。
(そんな……! 今追い出されたら、間違いなく行き倒れ……)
「……と言いたい所だが、……はもう……、明日……」
辺境伯が何か言っていたが、ショックを受けた私には最早理解できなかった。声が次第に遠くなっていき、視界がぼやけて端からどんどん黒く染まっていく。
私が覚えているのは、そこまでだった。
馬車に揺られながら、私は肩を落として盛大に溜息を吐き出した。
どう考えても、私がキンバリー辺境伯に気に入られるとは思えない。生粋の高位貴族だったり誰もが振り向く美人だったり名高い才女だったりと、社交界で評判が高いご令嬢方でも、門前払いで片っ端から断ってしまうような方が、どうやったら元平民で妾腹のなんちゃって伯爵令嬢を選ぶと言うのだ。
せめて私がお母さんに似て、人目を惹くスタイルに何処か品がある立ち居振る舞いで男性に人気があるならまだ良かったのだけれど。生憎似ている所と言えば黒髪黒目という部分だけで、私自身は至って平凡な顔立ちだし、あの三人から受ける罰のせいですっかり痩せこけてしまって女性らしい体型でもないし、淑女教育で身に着けられたのはごくごく基本的な事だけだ。高嶺の花と憧れられる程の貴族令嬢の方々ですら全て切り捨ててしまうような方が、もしこんな私を選ぶと言うのならば逆に怖い。絶対に何か裏があるに決まっている。
これはもう、どうすればキンバリー辺境伯に好かれるかという事よりも、どうやったら辺境伯に追い返された後も生きていけるかを考えた方が早いだろう。だけど、そんな事ができるならとっくにあの家を出ている。お金も無ければ身なりも貧相な私が、どうすれば住まいと職を得て稼いでいく事ができると言うのだ。まともな人なら余程の奇特な人でない限り、私を雇おうとは思わないだろう。まともじゃなかったら……雇ってくれるのかも知れないが、流石に犯罪とかに巻き込まれるのは……嫌だ。最終手段は身売りだけど、できればしたくないし、貧相な身体の私を買ってくれる人がいるとも思えないし……。
駄目だ。どう考えても詰んでいる。
それでも何とかしなければ、と私は無い知恵を絞ってずっと一生懸命に考えていたが、三日目には何だか寒気が止まらなくなってきた。初冬で日に日に寒くなっていく中、布地が薄い古着で北の地に向かっているからだろう。このままだと下手をすれば風邪を引いてしまうかも知れない。
案の定、五日目の夕方にキンバリー辺境伯領に着いた時には、私は寒くて震えが止まらなくなっていた。
「フォスター伯爵令嬢ですと……? 申し訳ございませんが、生憎主人は今仕事で留守にしておりますので、こちらでお待ちいただけますでしょうか?」
初老の家令らしき人に、私は客間に案内された。だけど、その困惑したような表情に、何だか嫌な予感がする。私が今日到着すると、異母兄から連絡が来ていなかったのだろうか。
それでも私は、もうキンバリー辺境伯の帰宅を待つ事しかできない。フォスター伯爵家の御者は、私を馬車から降ろすと、これで役目は終わったとばかりにすぐに帰って行ってしまったのだから。
初対面の人達に情けない姿は見せたくなくて、私は歯を食い縛り、背筋を伸ばして平静を装っていたけれど、持て成してくださった家令の人や年配のメイド頭らしき人が退室して客間で一人になった途端に、どっと疲労と倦怠感が襲ってきた。身体が怠くて熱く、頭が痛い。寒気と震えが止まらない。これは本格的に風邪を引いてしまったのかも知れない。
唯一の救いは、使用人の人達がとても優しかった事だ。家令の人は部屋に案内するなり、外は寒かったでしょうとすぐに暖炉に火を入れて部屋を暖かくしてくれたし、メイド頭らしき人が熱い紅茶を持って来てくれたお蔭で、寒気は少しだけ治まった。
(使用人の人達がこんなに良い人達なんだから、辺境伯も噂とは違って、少しでも優しい人だったら良いのにな……)
だけど悲しいかな。そんな私の淡い期待も、日がとっぷりと暮れてから帰宅した辺境伯に打ち砕かれた。
いよいよ熱が上がってきたのか、頭がぼうっとして、気を抜いたらすぐにでも意識が遠のいてしまいそうな中、ソファーの背にぐったりと身体を預けてかろうじて座っていた私は、何だか急に玄関の方が騒がしくなった事に気が付いた。辺境伯がお帰りになったのかも知れないと気合を入れ直して姿勢を正した時、客間のドアがノックされた。
「失礼する」
低い重厚な声を響かせながら入って来たのは、驚く程背が高く、立派な軍服が似合う逞しい身体つきをした男性だった。綺麗な琥珀色の髪に、海よりも深い青色の目、整った顔立ちで圧倒的な存在感を放つ彼がキンバリー辺境伯だと一目で分かったが、その端正な顔は不快に歪められ、切れ長の目は冷たく私を見下ろしている。私は萎縮しながらもすぐに立ち上がり、失礼の無いよう細心の注意を払いながら、昔習った淑女の礼を丁寧に披露した。
「お留守中に上がり込んでしまい申し訳ございません。改めまして、初めまして。フォスター伯爵家から参りました、サラと申します」
我ながら上出来だったと思う。三年間全くする機会が無くても、身体がちゃんと覚えていてくれた事に少しだけほっとした。
だけど。
「セス・キンバリーだ。フォスター伯爵令嬢と言ったな。何か行き違いがあったかも知らんが、国王陛下が余計な気を回した此度の縁談、既に当方から断りの手紙を出してある。悪いが直ちにお帰り願おう」
取り付く島もなくバッサリと切り捨てられ、私の頭からザッと血の気が引いていく。
(そんな……! 今追い出されたら、間違いなく行き倒れ……)
「……と言いたい所だが、……はもう……、明日……」
辺境伯が何か言っていたが、ショックを受けた私には最早理解できなかった。声が次第に遠くなっていき、視界がぼやけて端からどんどん黒く染まっていく。
私が覚えているのは、そこまでだった。