なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる
22.サラの真心
その夜、帰宅した俺は、真っ先にサラを部屋に呼んだ。
「失礼致します、旦那様」
部屋に入って来たサラにソファーを勧め、自らもその向かいに腰掛ける。
「サラ。まずは実験に付き合ってもらった礼を言う」
「え? いいえ、旦那様のお役に立てるのであれば、光栄です」
サラは恐縮しながらもはにかんでいるが、やはりその顔色は冴えない。
「……お前のおまじないがジムとラシャドには効いて、母君には効果が無かった事で悩んでいるのか?」
単刀直入に訊くと、サラはビクリと肩を震わせて、目を伏せた。
「……旦那様の仰る通りです。母の時は、藁にも縋る思いで、必死になって祈りながら作ったおまじないが全然効かなかったのに、何で今更、気休めだったり、半信半疑で作ったりした分が効果を発揮したんだろう、と思ってしまいまして……」
力無く笑うサラに、胸が痛む。まだ幼いサラが、何とか母君を助けようと懸命におまじないに縋った姿が、容易に想像できた。
「俺の推測だが、お前のおまじないは万能ではないのだろう。効果を発揮するには、何らかの条件があるのではないかと考えている」
「条件、ですか……?」
俺の言葉に、サラは顔を上げた。
「そうだ。例えば、母君の時はお前が子供で未熟だったが故に効かなかっただとか、怪我には効くが病気には効果がない、あるいは魔獣が絡む事に対してのみ効果がある、等現時点では色々考えられる。俺は他にも様々な実験をすれば、その条件を絞り込み、明らかにする事が可能だと考えている。……だが、お前の気持ちを無視し、辛い思いをさせてまで、どうしても突き止めたい訳ではない。お前がこれ以上の実験は嫌だと言うのなら、断ってくれても構わん」
サラは戸惑ったように瞳を揺らしていた。だが、やがて目を閉じて深呼吸をすると、微笑みながら口を開いた。
「旦那様、お気遣いありがとうございます。ですが、私もこのおまじないの事を、もっと知りたくなりました。……母には効きませんでしたが、他の方には少しでも効果があって良くなるのなら、そして旦那様のお役に立てるのなら、これからも是非、実験をお願い致します」
吹っ切れたように表情を明るくして、頭を下げるサラに、俺は目を見開いた。
正直、断られる事も覚悟していた。サラのおまじないが本当に効力があるものならば、治してやりたい者達が沢山いる。だが、サラは母君から教わったおまじないをする度に、母君を救えなかった事を思い出す筈だ。自分が傷付いてまで、見ず知らずの他人を治療したくないと拒否されてもおかしくはない。
だが、俺を真っ直ぐに見据えるサラの目に迷いは無かった。彼女は、俺が思っていたよりも、ずっと強い人間であるようだ。
彼女の精神力は、尊敬に値する。
「……そうか。礼を言う。お前のお蔭で、きっと多くの者達を救う事ができるだろう」
「旦那様、まだ本当に私のおまじないに効果があると分かった訳ではありません。あまり過剰に期待なさらないでください」
「そうだったな」
サラは困ったように苦笑を浮かべていたが、俺は既にサラのおまじないの効力を確信していた。重傷を受けたジムが完治し、ラシャドの古傷が改善されたのは、間違いなくサラのお蔭だと。
そして、そのおまじないを教わったと言う、サラの母君についても気になる。
実験時に見せてもらったおまじないの製作過程は、サラの言うように模様を描くと言うよりも、細かな文字を精密に配置しながら書き込む事で、遠目からは幾何学模様に見えるようにしていると言った方が正しいのではないかと思う。とは言っても、サラが書く文字は俺が見た事もないものなので確信は持てないが、少なくともサラの母君は、只者ではない事だけは確かだ。リアンに調査を命じておいたが、果たしてどんな報告が上がる事やら。
サラとの話は終わり、俺は夕食の席に着いた。料理の一品を見て、俺は目を丸くする。
「これは、シカ肉の燻製か?」
「左様でございます」
俺の問いに、リアンが微笑みながら答えた。
「サラさんが旦那様にと、クヴェレ地方で買って来られ、ケイに預けておられたお土産をお出ししました」
「サラは同行していた俺にまで、土産を買ったと言うのか?」
「はい。我々だけでなく、旦那様にもお礼と感謝の気持ちをお伝えしたいと」
「……そうか。サラはどうした?」
「今頃は厨房でケイの賄いの準備を手伝っているかと」
「そうか」
クヴェレ地方では、碌に案内もしてやれなかったというのに、わざわざ俺にまで土産を買ってくれたサラに戸惑いながらも、胸に温かな気持ちが広がっていく。
「サラさんは、とても良いお嬢様でございますね。あのようなお方は、二人とおりますまい」
「そうだな」
リアンの言葉に、素直に同意する。
俺の中で、日に日にサラの存在感が増している。あれ程素直で、真っ直ぐで、何事にもひたむきな令嬢は今まで会った事が無い。俺が勝手に作った貴族令嬢の像に彼女をも当て嵌め、ぞんざいに扱っていた過去の自分を恥じる。
サラの真心溢れる言動に対して、俺は十分に報いているのだろうか。ジムの事と言い、ラシャドの事と言い、サラは俺の要望に嫌な顔一つせず応えてくれているのに、俺は何も返せていないのではないだろうか。
今度、サラに何か贈り物でもしてみようか。
年頃の女性に対して、初めてそんな事を思いながら、俺は燻製を口に運んだ。
「失礼致します、旦那様」
部屋に入って来たサラにソファーを勧め、自らもその向かいに腰掛ける。
「サラ。まずは実験に付き合ってもらった礼を言う」
「え? いいえ、旦那様のお役に立てるのであれば、光栄です」
サラは恐縮しながらもはにかんでいるが、やはりその顔色は冴えない。
「……お前のおまじないがジムとラシャドには効いて、母君には効果が無かった事で悩んでいるのか?」
単刀直入に訊くと、サラはビクリと肩を震わせて、目を伏せた。
「……旦那様の仰る通りです。母の時は、藁にも縋る思いで、必死になって祈りながら作ったおまじないが全然効かなかったのに、何で今更、気休めだったり、半信半疑で作ったりした分が効果を発揮したんだろう、と思ってしまいまして……」
力無く笑うサラに、胸が痛む。まだ幼いサラが、何とか母君を助けようと懸命におまじないに縋った姿が、容易に想像できた。
「俺の推測だが、お前のおまじないは万能ではないのだろう。効果を発揮するには、何らかの条件があるのではないかと考えている」
「条件、ですか……?」
俺の言葉に、サラは顔を上げた。
「そうだ。例えば、母君の時はお前が子供で未熟だったが故に効かなかっただとか、怪我には効くが病気には効果がない、あるいは魔獣が絡む事に対してのみ効果がある、等現時点では色々考えられる。俺は他にも様々な実験をすれば、その条件を絞り込み、明らかにする事が可能だと考えている。……だが、お前の気持ちを無視し、辛い思いをさせてまで、どうしても突き止めたい訳ではない。お前がこれ以上の実験は嫌だと言うのなら、断ってくれても構わん」
サラは戸惑ったように瞳を揺らしていた。だが、やがて目を閉じて深呼吸をすると、微笑みながら口を開いた。
「旦那様、お気遣いありがとうございます。ですが、私もこのおまじないの事を、もっと知りたくなりました。……母には効きませんでしたが、他の方には少しでも効果があって良くなるのなら、そして旦那様のお役に立てるのなら、これからも是非、実験をお願い致します」
吹っ切れたように表情を明るくして、頭を下げるサラに、俺は目を見開いた。
正直、断られる事も覚悟していた。サラのおまじないが本当に効力があるものならば、治してやりたい者達が沢山いる。だが、サラは母君から教わったおまじないをする度に、母君を救えなかった事を思い出す筈だ。自分が傷付いてまで、見ず知らずの他人を治療したくないと拒否されてもおかしくはない。
だが、俺を真っ直ぐに見据えるサラの目に迷いは無かった。彼女は、俺が思っていたよりも、ずっと強い人間であるようだ。
彼女の精神力は、尊敬に値する。
「……そうか。礼を言う。お前のお蔭で、きっと多くの者達を救う事ができるだろう」
「旦那様、まだ本当に私のおまじないに効果があると分かった訳ではありません。あまり過剰に期待なさらないでください」
「そうだったな」
サラは困ったように苦笑を浮かべていたが、俺は既にサラのおまじないの効力を確信していた。重傷を受けたジムが完治し、ラシャドの古傷が改善されたのは、間違いなくサラのお蔭だと。
そして、そのおまじないを教わったと言う、サラの母君についても気になる。
実験時に見せてもらったおまじないの製作過程は、サラの言うように模様を描くと言うよりも、細かな文字を精密に配置しながら書き込む事で、遠目からは幾何学模様に見えるようにしていると言った方が正しいのではないかと思う。とは言っても、サラが書く文字は俺が見た事もないものなので確信は持てないが、少なくともサラの母君は、只者ではない事だけは確かだ。リアンに調査を命じておいたが、果たしてどんな報告が上がる事やら。
サラとの話は終わり、俺は夕食の席に着いた。料理の一品を見て、俺は目を丸くする。
「これは、シカ肉の燻製か?」
「左様でございます」
俺の問いに、リアンが微笑みながら答えた。
「サラさんが旦那様にと、クヴェレ地方で買って来られ、ケイに預けておられたお土産をお出ししました」
「サラは同行していた俺にまで、土産を買ったと言うのか?」
「はい。我々だけでなく、旦那様にもお礼と感謝の気持ちをお伝えしたいと」
「……そうか。サラはどうした?」
「今頃は厨房でケイの賄いの準備を手伝っているかと」
「そうか」
クヴェレ地方では、碌に案内もしてやれなかったというのに、わざわざ俺にまで土産を買ってくれたサラに戸惑いながらも、胸に温かな気持ちが広がっていく。
「サラさんは、とても良いお嬢様でございますね。あのようなお方は、二人とおりますまい」
「そうだな」
リアンの言葉に、素直に同意する。
俺の中で、日に日にサラの存在感が増している。あれ程素直で、真っ直ぐで、何事にもひたむきな令嬢は今まで会った事が無い。俺が勝手に作った貴族令嬢の像に彼女をも当て嵌め、ぞんざいに扱っていた過去の自分を恥じる。
サラの真心溢れる言動に対して、俺は十分に報いているのだろうか。ジムの事と言い、ラシャドの事と言い、サラは俺の要望に嫌な顔一つせず応えてくれているのに、俺は何も返せていないのではないだろうか。
今度、サラに何か贈り物でもしてみようか。
年頃の女性に対して、初めてそんな事を思いながら、俺は燻製を口に運んだ。