なんちゃって伯爵令嬢は、女嫌い辺境伯に雇われる

30.特訓の日々

 翌日から、私の猛特訓が始まった。

 私も一応は伯爵令嬢とは言え、まともな淑女教育を受けたのは、父に引き取られてからの約三年間だけだ。その後は淑女とはかけ離れた使用人生活を送っていたので、お茶会は勿論の事、夜会にも出た事は無く、今度開催される旦那様の従兄である国王陛下主催の夜会が、私の社交界デビューの場なのだ。そんな大舞台で、万が一にも私が失敗して旦那様に恥をかかせる事など絶対にできない。なので、旦那様にご相談して、夜会の日までお屋敷で淑女教育を受け直させていただく事になったのだ。
 幸い、私のおまじないは作り置きできる事が分かっているので、お屋敷で一日に十枚のおまじないの紙を描き上げて、翌日に旦那様に砦に持って行っていただく事になった。そして残りの時間は、全て淑女教育という名の猛特訓を受けているのである。
 そしてこれを機に、お屋敷の皆さんが私を様付けで呼ぶようになってしまった。何でも、夜会では旦那様の婚約者のフォスター伯爵令嬢という扱いを受けるのだから、今から慣れておいた方が良いとか何とか。一夜限りの婚約者役なのだから、そんな事は必要ないだろうと思ったのだけれども、旦那様も賛成しているだとか、その方が伯爵令嬢という自覚が芽生えるだとかで、気付けば皆さんにそう呼ばれるようになってしまっている。

「一、二、三、一、二、三……。良いですよサラ様、その調子です」

 私の先生をしてくださっているのはハンナさんだ。ハンナさんは元々家庭教師をされていて、その縁でキンバリー辺境伯家に来られたのだそうだ。旦那様が小さい頃には、勉強を教えて差し上げていた事もあったらしい。
 ダンスの練習に関しては、時間が合った時はベンさんがパートナーを務めてくださっている。旦那様と幼馴染のベンさんは、小さい頃から何かにつけて旦那様と一緒にハンナさんの授業を受けていたそうで、ダンスの練習にも付き合わされていたらしい。男性パートは勿論、何故か女性パートまで踊れるようになってしまったと、遠い目をして引き攣った笑いを浮かべていた。何だか哀愁が漂っていたので、あまり詳しくは訊いていない。

「サラ様、お茶も入ったようですし、少し休憩にしましょうか」

 アガタさんが淹れてくださったお茶を飲みながら、ついでにマナーの復習をする。本当は課題が山積みではあるけれど、取り急ぎは夜会に照準を合わせて、必要最低限の事柄に絞っていただいているのだ。

「一通りの事は問題なさそうですね。後は指先の動作に気を付けられますと、より洗練された印象になりますよ」
「分かりました、気を付けます」
「サラ様は物覚えが良いので、私も教え甲斐があります」
「そ、そうでしょうか……。ありがとうございます」

 ハンナさんは褒め上手なので、私も少しずつ自信が付いてきている。これなら夜会でも何とかなるかも知れない。
 ……想像しただけで、緊張で吐きそうだけど。

 休憩後に、挨拶の仕方や立ち居振る舞いを確認していると、旦那様の馴染みの服屋さんがドレスの仮縫いに来てくださった。この日の為だけに、私のドレスを急遽作っていただく事になったのだ。オーダーメイドの為私しか着れないドレスになるので、何だか申し訳なくて、ドレスのお金は私が払うと旦那様に申し出たのだけれども、こちらの都合による必要経費だからと一蹴されてしまった。しかも何故か、必要になるかも知れないから念の為という謎の理由で、デビュタント用の白いドレスだけでなく、他にも数着作っていただく事になってしまっている。高そうなドレスを何着も、それも只で頂いてしまうだなんて、本当に良いのだろうかと困惑してしまったが、当然だと主張する旦那様やハンナさん達に押し切られてしまった。

「何処かきつい所はありませんか?」
「大丈夫です」

 急にお願いしてしまったのにもかかわらず、ドレスはどれも期日までにきちんと間に合わせてもらえるそうだ。仮縫いも手際良く終わらせた服屋さんは、完成を楽しみにしておいてくださいと言い残して帰って行かれた。

 そして欠かせないのが、髪や肌のお手入れだ。アガタさんに基本的な事を色々と教わりながら、香油を塗ってもらったり、マッサージをしてもらったりして、少しずつだけど日々綺麗になっていると実感しつつある。何でもアガタさんのご友人の実家が化粧品関係のお店を営んでいるそうで、そのご友人に色々教わったと言うアガタさんも、美容関係に凄く詳しいのだ。

「すみません。恥ずかしながら、今までこういう事には無頓着で、本当に何もしてこなかったもので……。爪なんて、生まれて初めて磨きました」
「いいえ。最初は誰しも同じですもの。サラ様は本当に磨き甲斐があるので、こちらもつい楽しくなってしまいます」

 夜会の日までに、少しでも綺麗になって、旦那様の隣に立っても恥ずかしくないようになりたい。その一心で、私はお二人に色々な事を教わりながら、慣れない事も一生懸命に頑張った。

 だけど、一番慣れないのは、旦那様なのである。

「旦那様、お帰りなさいませ」
「サラ」
「あ……、セス様、お帰りなさいませ」

 婚約者として夜会に出席するのだから、お互いにちゃんと婚約者らしく振る舞えるようにと、名前で呼ぶように言われているのだが、つい習慣で旦那様と口が動いてしまう。結婚後の夫婦なら構わんだろうがな、と旦那様……じゃなかった、セス様に指摘されてしまってからは、万が一にも誤解される訳にはいかないと、気を付けているつもりなのだけれども……。

 それに夕食後は、旦、違う、セス様は、毎日ダンスの練習に付き合ってくださるのだ。時間が無いので一回だけなのだけれども、それでもベンさんとは身長も歩幅も違うのだから、本当の相手で慣れておいた方が良いと仰って。

「ふむ……。大分上手くなったな。当日はたとえ緊張で足が縺れたとしても、俺が必ずフォローしてやるから安心しろ」
「は、はい……ありがとうございます」

 真上から降ってくる低音の声に、間近で見るご尊顔。腰に回る大きな手に、密着する身体。
 今までになく近過ぎるこの距離に、男の人に慣れる機会などこれっぽっちも無かった私は、練習が終わる頃には、毎回顔が真っ赤になり、心臓の動悸が凄い事になっていた。

(……あれ、おかしいな。ベンさんの時は平気なのにな。何でだろう? ベンさんにはアガタさんがいらっしゃるからかな?)
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